■ AI(人工知能)の読解力の課題
試しに机上のパソコンで翻訳ソフトを起動させ、「ファーブルは、とりわけ虫が好きでした」と日本語文を入力して英訳させると、正しく翻訳した。現代の翻訳ソフトは小学生よりも賢いようである。続いて、「私は先日、岡山と広島へ行った」と入力すると、これも正しく英訳した。
しかし、次の文は正しく英訳できなかった。
「私は先日、岡田と広島へ行った」
前回述べたRST(リーディングスキルテスト)の考案者である新井教授によると、人間には簡単に理解できるのにAIが苦手とするのがこのような文の理解だという。つまり人間は、上の文の「岡山と広島」を「岡山県と広島県」あるいは「岡山市と広島市」という地理上の場所だと理解し、それに対して「岡田と広島」は「岡田?ああ人間か」と即座に読み換えるのだが、AIにはこの文の違いを理解することができないのである。人間がAIと職業上で競うにはこのようなAIが苦手とする読解力やコミュニケーション力が重要な要素になると考えるのは自然なことだろう。
■ 子どもの読解力の課題
ところで最近の子どもは、小学校入学時にはほぼすべての子どもが「ひらがな」を書ける状態で入学してくる。なかには漢字が書けたり幼児英語教室で英語を習ったりしている子どもも珍しくなくなった。現代の子どもたちは、かつての日本人では考えられないような「高い学力」をもって小学校に入学してくるのである。そんな日本人の子どもが「教科書が読めない」ようになってしまうのはなぜだろうか。
その原因として考えられるのは、スマートフォンでのSNSや携帯ゲーム機での遊びに際限なく時間を費やしている子どもの生活実態や、それに伴う「読書離れ」「活字離れ」ではないかと思われる。
先日、読売新聞の紙面(下注参照)に、ベネッセ教育総合研究所が小学生を対象に電子書籍での読書量と学力の関係を調べた調査結果が掲載されていた。電子書籍サービスを利用していた小学5年生約4万3千人を対象に実施した調査で、1年4か月の期間に読んだ電子書籍の冊数と、国語、算数、理科、社会4教科の平均偏差値の変化を比較したのである。その結果、読書の冊数が「10冊以上」の子は、テストの平均偏差値が1.9㌽上昇していたのに対して「0冊」の子は0.7㌽下がった。教科別に比較すると、算数で「10冊以上」の子の上昇が目立っていたという。
■ 読書で身につける読解力
新井教授の本(下注参照)には基礎的読解力を測定するRSTの例題が掲載されている。じつはこの本を読んでいるときに、私自身が間違えた問題がある。それは「推論」に関する次の設問だった。
一読すれば単純なこの問題を私は勘ぐって、「判断できない」と答えて間違えた。このときの私の思考を再現するとこうなる。(エルブルス山ってどこの山だろう。待てよ、もし架空の山だとしたらどう考えるべきなのか。あるいはどこかの惑星で最近発見された非常に高い山だとは考えられないか。そうなると「世界」がどの範囲を示すのかも問題になるな)などといろいろ思案して結局、間違えたのだ。正解は「正しい」である。
私が正解できなかった理由は何だろう。もちろん、「エルブルス山をすっかり忘れていた」ことが主な理由だが、もうひとつは、「前提条件から外れて考えを進めていった」ことではないか。私は、この問題が「推論」の設問だったので出題意図を勘ぐって考え、余計な想像を膨らませてしまったのだ。ちなみに調べてみると、「エルブルス山」はコーカサス山脈の最高峰で標高は5,642m。ヨーロッパの最高峰だった!
私はこの誤答やAIの誤訳から、基礎的知識(この場合は地理の知識)の多寡が誤答や誤訳につながること、ひいては思考や判断にも影響を与えることに改めて気づかされた。そう考えると、前述の新聞記事に書かれていた「小学生の読書量が4教科の平均偏差値に与えた影響」の調査結果もなるほどと首肯できるし、とくに算数の平均偏差値を上昇させたことも納得できたのである。
インターネット以前の時代には、学生や社会人は、世界の政治、経済、文化、科学などの時事問題に関する最新の知識や論説は新聞や専門雑誌から得ることが多かった。しかし現代では学生は、図書館で本を借りたり新聞や専門雑誌を読んだりして知識や情報を得るよりも、自分の好みのSNSや興味のあるネットニュースから情報を得ることが圧倒的に多いのが実態だろう。こういうデジタル時代に生きる子どもの「読書離れ」の実態が今後も続いていくのなら、子どもの読解力の向上はどのようにして実現できるのか。その未来を危惧するのは、私だけだろうか。
(浩)
※ 「小学生 読書で学力向上」読売新聞大阪本社版、2019年2月22日付17面
※ 『AI VS. 教科書が読めない子どもたち』新井紀子 著、東洋経済新報社、2018.2