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明日へ届ける手紙⑤「迎春のしめ縄飾り」

 ■『宮沢賢治記念館』の掲示板

 

 その冬、私は仕事で花巻市にある岩手県立総合教育センターを訪問した。用件が終わって退所するとき、対応してくれた所員が「ぜひ『宮沢賢治記念館』に寄ってください」ともう一度勧めてくれたので、その記念館を訪れることにした。

 

 タクシーを降りると入口に続くアプローチまで一面雪景色で私は革靴が滑らないように恐る恐る歩いた。記念館には私が見たかった「黒板」のレプリカも展示されていた。それは、賢治が開いた『羅須地人協会』の玄関脇にあったという有名な掲示板で、そこにはチョークの字体で「下ノ畑ニ居リマス 賢治」と書いてある。その字を見ていると、いま本当に下の畑で作物の世話をしている彼の姿が私の脳裡に浮かんだ。『羅須地人協会』の実際の建物は現在、県立花巻農業高等学校に移築し保存されているという。

 

 ■「しめなわ」の授業

 

 宮沢賢治は『羅須地人協会』を開く前、当時の県立花巻農学校で教壇に立ち生徒たちを教えていた。1921(大正10)年から数年間のことである。私は一時期、教師宮沢賢治の授業に興味をもち調べたことがあった。彼の授業のなかで自分も授業に取り入れ年末になると教えたのが「しめなわ」の話である。残された記録では賢治の教え子がそのときの内容をよく覚えており、よほど印象深い話だったのだと思われる。

 

 「しめなわ」は、なにを意味しているのか。賢治は次のように問い、教えたという。

「しめなわに、細い藁を二、三本下げる風習があるでしょう。あれはね、きみたちなぜだか分かりますか」

 賢治は、しめなわ本体は雲を、細い藁は雨を、白い紙垂(しで)は稲妻を表しているのだと説明する。

「ではなぜここに稲妻が出るのでしょう」

 稲妻が落ちた田畑は翌年よく作物が実ることを昔から農民は経験として知っていた。稲妻は害虫を殺し、空気中の窒素を分解する。それを雨が土に溶かし込み土壌を肥沃にしているのだ、と。賢治は地元にある「船橋の無線局の塔の下の麦畑」の実例を出し、「で、その畑は、以前からなぜかちっとも肥料をやらなくとも麦がよく実ったのです」と語ったという。

 

「なるほど、だから漢字では『雷』や『稲妻』と書くのか」と、私にもこの話は実感として伝わった。その後私は、年末になると迎春の「しめ縄飾り」を新聞紙に包み教室に持ち込むようになった。少しずつ新聞紙を破りながら中身を見せ興味を引き付ける。そして賢治の話を基にこの「しめ縄飾り」に託された古くからの人々の願いを語った。「裏白(ウラジロ)」には裏のない清廉な心、「橙(ダイダイ)」には代々の繁栄への願いが込められていると、縁起物が飾られている意味も話して聞かせた。しめなわの話が賢治の教え子や私の心に印象深く残ったように、「しめ縄飾り」の話がこの子どもたちの心にも染み込み残るように、と願いながら。

 

 

 ■「いわて花巻空港」の土産

 

 宮沢賢治記念館からタクシーに乗って、いわて花巻空港に着いた。時刻表を見ると帰路の飛行機の搭乗までまだ時間があったので、空港内で土産物を買うことにした。店で品定めをしているとふと、商品棚に陳列されている色紙が目に入った。宮沢賢治の詩『雨ニモ負ケズ』が書かれた色紙で筆跡は賢治の直筆だった。宮沢賢治記念館では品切れだったのか販売されていなかったので、私はこの色紙を買うことに決めた。知人にプレゼントするためでも自分の部屋に飾るためでもない。教師の習性で(教材に使えそうだな)と思ったのである。

 

 カウンターで店員に色紙を渡すと、彼女は顔を上げて私の目を見た。私は思わず(間違えて見本を持ってきてしまったのか)とひるんだ。しかし、そうではなかった。彼女は「私は宮沢家ゆかりの者です」と言って微笑んだ。

 

 私はこのご縁に驚いた。おそらく彼女は、数あるお土産の品物からこの色紙を選んだ私にお礼のメッセージを伝えたかったのだろうと思った。受け取ったレシートを見ると『宮澤商店』と屋号が印字されていた。私は、教材にしようと思ったわけではなかったが、そのレシートをポケットにしまい込んだ。

(浩)

 

※ 本稿は次の書籍を参考にした。なおこの書籍は久しく絶版になっていたが2017年、小学館文庫から新たに刊行されている。

 

『教師宮沢賢治のしごと』畑山博 著、小学館、1988

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