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明日へ届ける手紙③「アクティブ・ラーニング」(上)

■ 大学教授が小学生だったころ

 

 脳科学者で東大教授の池谷裕二さんは掛け算の九九を覚えていないそうだ。それだけでなく掛け算も割り算も「筆算」ができない。その理由は「小学校のころに、勉強が嫌いだったから」だという。ではどのようにしてこれまで計算を行ってきたのか。池谷さんは、九九を覚える代わりに「九九を計算する方法」を自分で習得したのだと、その著書で述懐している。

 

 私がこの逸話を思い出したのは少し前、2022年度から実施される高等学校学習指導要領案が発表されたという新聞記事を読んだからである。この高等学校学習指導要領案のキーワードのひとつになっているのが「アクティブ・ラーニング」で、その記事を読んで久し振りに「学ぶとはどういうことか」を再考させられたのだった。

 

 池谷さんが小学生だったころ勉強が嫌いだったのは、おそらく暗記や暗唱といった単純記憶型の学習が不得意だったからではないかと思う。小学校前期の学習は圧倒的にこの反復記憶中心の学習が多い。だから考察力や推理力に優れた池谷少年にとってはきっと窮屈でかつ退屈な勉強が多かったのではないかと思われる。

 

 上級学校に進めば知識記憶中心の学習ではなく、思考力や知識活用力が試される学習が多くなるのだが、学校の授業はじつはそうはなっていないのではないかというのが我が国の公教育の実践的課題である。

 

 

■ テストの答えはいつもひとつ

 

 たとえば学校のテスト問題はそのほとんどは単一の「正解」がある問題で構成されている。解答欄に数字や用語を記入させる穴埋め問題や3つか4つの選択肢から正解を選ばせる三択、四択問題が多い。

 もちろん、記述式問題や論述問題が出題されることもある。しかし、この形式の問題は適正な評価基準の作成が難しかったり採点に膨大な時間が掛かったりすることから、学校でのテスト問題で頻繁に出題される状況にはなっていない。

 

 けれども実社会では、直面する問題や課題の大部分は筆記試験のように単一の正解があるのではない。そもそも「正解」がないかもしれない問題や課題もある。テスト問題には必ず正解があるが、社会で巡り合う問題や課題には直面しているその時点では解決策が見つからないことも少なくない。だからこそ社会人には課題への多角的な追究力や「妥当解」や「最適解」あるいは「最善解」を探し出す能力が求められるのである。

 

 筆記試験のみで受験生の学力を測定してきた日本の大学入試制度は、世界から立ち遅れている。近年、優秀な学生が日本の大学を選ばず、直接海外の大学に進学する事例も少なくない。アメリカやイギリスでは随分以前から、大学の入学試験で筆記試験以外に、アカデミックな分野での受賞歴や社会貢献活動など社会的活動の実績が問われたり、卒業生や教授などと面接や議論を行ったりすることが当たり前だという。そうしなければ受験生の真の学力や能力は測れないし優秀な学生を採ることができないと大学側は考えているのである。

 

 22年の高等学校学習指導要領改訂によって、これからの我が国の高等教育は大学入試改革も含めて大きな変革期を迎えるだろう。日本の学生が世界標準の学力を身に付け、国際社会で活躍できる学力や能力を学校教育で育成するために、どのような学習をカリキュラムに位置づけるか。この課題への答えのひとつが、今回示された「アクティブ・ラーニングの視点に立った学習」である。(続く)

(浩)

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