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明日へ届ける手紙㉑「進路を決めたひと」

 

■ 桜舞う並木道で

 

 公園を散歩すると、桜はすっかり葉桜に換わっていた。3月末に桜の花びらが舞う並木道で、制服の胸ポケットにコサージュを飾った卒業生の一団と出会ったのを思い出した。歓談するマスク姿の会話は、少し離れた私の場所までは届かなかったが、その下の笑顔は容易に想像できた。昨年の同じ桜の季節、緊急事態宣言で静まり返った桜並木のあの状況を思い浮かべると、私は今年、出会った卒業生の姿に深い感慨や感動を覚えたのだった。

 

 あの卒業生たちは今、新しい学校や職場で、どんな充実した毎日を過ごしているのだろうか、と思った。

 

■ 地方新聞の寄稿文

 

 あの中学生たちが卒業時に、どの学校へ進学するのか、どの会社に就職するのか、その進路を決めたのは一体誰だったのだろうか。そんなことを思ったのは、先日読んだ地方新聞の寄稿文が頭に残っていたからである。

 

 その地方新聞には、不定期に掲載される寄稿欄がある。故郷を離れて活躍されている方々の、故郷へのそれぞれの思いを綴った寄稿文が掲載されるのだ。そこに載っていたある文章が私の目に留まった。中学生時代の進路決定を振り返った内容で、それを読んで私は進路について考えさせられたのだった。

 

 田舎の中学校を卒業するとき、自分の進路は親や親戚の意見で決まるようで、自分もそういうものだと思っていた。父方の親戚のアメリカのレタス農園へ働きに行くか、母方の親戚の大阪か神戸の商店へ就職するか、母親や親戚はいずれかを考えていたようだった、と寄稿者は述懐する。かつてその町は、一家揃ってアメリカへ移民した家庭が多かったので、親戚を頼ってアメリカへ渡ることも唐突な話ではなかったのである。ところが実際に、この少年の進路を決めたのは、母親でも親戚でもなく、中学校の担任の先生だったという。

 

 担任の先生は何度も少年宅を訪問され、母親に今は奨学金制度がありそれをいくつかとれば高校の学費に足りるから高校に行かせるべきです、と主張されたというのだ。それでも母親は、就職させると決めていたようで、頑として首を縦に振らなかった。おそらく奨学金で学費は賄えたとしても生活費が出せないと考えたのだろう。

 

 それでも担任の先生は諦めなかった。そしてとうとう母親は担任の熱意に負けて、「奨学金は2つまで、残りの生活費は自分で稼ぐこと」を条件に高校進学を認めてくれた。

 

 そしてこの少年は、2人目の進路を決める人物に出会うことになる。それは奨学金の面接で出会ったひとりの面接官だった。少年が進学する高校は遠くて自宅からは通うことができなかった。そのことを知った面接官は奨学金の支給が決まってから少年に、自分が開業している歯科医院の一室を無償で提供して、管理人という名目で置いてくれた、というのである。こうして少年に、高校に進学する道が開けた。中学生の知恵では到底切り拓けない人生の進路を、ふたりの大人が切り拓いてくれたのだ。

 

 のちにこの少年は、工学博士となり大学教授や大学学長を務め、後進の学生や研究者を育成することになるのである。

 

■ もうひとりの大学総長

 

 かつて、ある大学総長の少年時代の話を個人的に伺ったことがある。どの仕事のどんな機会に聞いた話だったのか古い記憶で忘れてしまったが、その内容は今も憶えている。

 

 貧しい暮らしで家には本がなかった、とその方は語った。父親は国鉄(日本国有鉄道)の技術者だった。母親が教育熱心で、どの教科が大事というのではなく、どの教科のテストも満点を取る努力をするように私を育てた。それで私はそれが習慣になり、友人たちが受験には関係がないからと真面目に勉強しない教科であっても、時間を惜しまず勉強した。忘れられないのは、学年で誰一人満点を取れなかった技術科のテストで満点を取ったときのことだ。技術科の先生は、わざわざ教卓の前まで私を呼び寄せて「よくやった!」と涙を流さんばかりに褒めてくれた。私はそれが格別に嬉しかった。

 

 高校を卒業したら就職するつもりだった。兄弟がいて家に経済的な余裕がなかったからだ。しかし、高校の担任の先生が両親に、彼ならどの大学にでも入れますとまで言って、大学進学を熱心に勧めてくださった。それで、やがて両親も「自宅から通える大学なら」と進学を認めてくれた。

 

 そしてこの少年ものちに、国際的な科学者となり大学総長を務めるようになったのである。

 

■ 進路を決めたひと

 

 このふたりの少年は奇しくも、同じように担任の先生から進学を勧められ、その後の人生を切り拓いていった。もちろんふたりとも極めて成績優秀だったから、担任は当然のように進学を勧めたのだともいえるが、ふたりの家庭の経済的な事情を考えると、その熱心さは「成績優秀」だけが理由ではなかっただろう、と私には思える。

 

 担任でもない面接官や技術科教員がサポートし応援したくなるような「人柄」を、ふたりは共通してもっていた。大人にしか見えないそのような少年の心の真実を、ふたりの担任や周りの大人は見抜いていたのではないか。それは少年の「本質」と言い換えてもよい。ふたりの担任や周りの大人はこの少年たちが、のちに研究者として大成し大学学長にまでなるとはよもや想像もしなかっただろうが、社会に役立つ仕事をするようになるという確信はあったのではないか、と私には思えてならない。

 

 将来とか進路とかは、生徒個人がもっている知識や経験だけでは掴み切れない、言わば未知の領域にある。だからこそ現在では、早期からキャリア教育を行ったり、中学校からは進学・就職ガイダンスや職場体験学習などを計画的に行ったりしているのである。もしこのふたりに当時、真摯に自分の人生に立ち向かう姿勢がなかったのならば、いかに成績優秀であったにしても、担任はそこまで熱心に家庭訪問までして親を説得しようとはしなかったのではないか、と私は思う。

 

 たしかに、この少年たちの進路は担任が決めた。けれども、懸命に学んで自分の人生を切り拓いたのはこの少年たち自身であってほかの誰でもない。

(浩)

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