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明日へ届ける手紙⑳「教育とファクトフルネス」(下)

 

「それぞれの物語の裏にある数字を見ようとすることは大切だ。でもそれと同じくらい、数字の裏にある物語を見ようとすることも大切だ。数字を見ないと、世界のことはわからない。しかし、数字だけを見ても、世界のことはわからない」ハンス・ロスリング

 

■ 先進国が見る世界の生活水準

 

 今、先進国に住む私たちは、メディアに映し出される世界の途上国の生活水準を見ると、みな同じように貧しい生活をしているように見えてしまう。しかしそれは、正しい理解とはいえない。現在、世界の国々で極度の貧困にある人々の割合は9%であり、大部分の人々は、住居、食料、水、電気、トイレ、学校教育、基本的な医療など生きる上で最低限必要なものは足りている、とハンス・ロスリングは述べている。

 

遠い外国の生活水準の違いが、極東の国に住む私たちに見えないのは当然のことなのかもしれない。コロナ禍の現在は別にしても、遠い外国を訪問して世界の現状を知る情報に触れることができる人は限られている。また、世界は日々変化し続けているが、私たちはそもそも日常的には、世界の状況を知る必要もほとんどない。それに私たちは、生活水準の違いを見つけるのに必要な客観的な観点も具体的な指標も残念ながら持ち合わせてはいないことを、本書は教えてくれる。

 

 私には、先進国が他国の生活を理解できないことを実際に経験した古くて苦い記憶がある。1979年、現在のEU(欧州連合)の前身であるEC(欧州共同体)が『対日経済戦略報告書』を出した。そのなかに当時、日本で建設が進んでいた「公営団地(都市型集合住宅)」を「うさぎ小屋」と形容した記述があり、日本国内で物議を醸したことがあったのだ。たしか来日したECの関係者も、実際に団地を見て同様の発言をしたというニュースを見て立腹した記憶がある。そのころの私にとっては、団地は憧れの住居であり、文化的な生活ができる快適な空間に見えたのだが、欧州の「先進国」から見ると「途上国」の狭隘な集合住宅はとてもそうは見えないのだろうと、憤慨しつつ納得せざるを得なかった。今振り返ると、たとえば「温水洗浄便座」を使い慣れてしまった日本人が、普通の「水洗トイレ」のありがたさを忘れてしまうというような感覚なのだろうか。

 

■ データを基にみる世界の進歩

 

 「先進国」という「上から目線」で世界の現実を見るのではなく、100年、200年という時間軸で世界の変化を観察する。そのような学びを今、学校の生徒にしてほしい。そうして、日本もまた「途上国」から現在に至るまで、そのときどきの社会課題を克服しつつ進歩してきたことを理解できるようになってほしい。そうして、日本の社会の進歩を、経済発展という一面だけでなく社会制度や教育福祉、学術文化の進展など多面的な観点から観察できるようになってほしい、と願っている。

 

 つい最近、服部正也著の『ルワンダ中央銀行総裁日記』が再ブームになっていると、ニュースで知った。1972年に出版された本が50年の歳月を経て再び読まれているというのである。きっかけは「人気銀行員小説のリアル版」などと投稿されたSNSだったらしい。きっかけは何であれ、この本が読まれることは喜ばしい。本の内容は、当時アフリカ大陸の最貧困国であったルワンダに国際通貨基金から中央銀行総裁として派遣された日本銀行職員の6年間の記録である。

 

 現代日本で、この本が私たちの胸に響くのは、第二次世界大戦から復員した一人の日本人が、欧州の植民地から独立してなお貧困に苦しむルワンダの国民のために経済再建と生活改善にひたむきな努力を尽くす姿である。服部総裁なくして、ルワンダの財政と経済再建はあり得なかっただろうし、その後「アフリカの模範生」とまで評価されるようになるルワンダ経済の発展もなかっただろう。服部総裁は、役所にある財政帳簿の数字を見るだけでなく、現地の人々から話を聞きルワンダに適した「経済再建計画」をまとめた。彼は、ハンス・ロスリングが言うように「数字の裏にある物語」を見ようと努めたのである。そこには、異国のために任務を誠実に遂行しようとする日本人の毅然とした姿があり、人気銀行員小説の痛快なフィクションにはない、数字(データ)の事実が語る真実の物語がある。

 

 今回読み返して強く思ったのは、国の発展には初等・中等・高等を問わず教育がいかに大事かということ、社会改善には一分野からのアプローチでなく学際的な解決方法の選択が必要だということ、そして幸多い市民生活には平和と経済的自立が最重要だということだった。これは凡庸にみえるが忘れがちな教訓だ。なぜなら私たちは、服部総裁がルワンダを去ってから、24年後に起きた動乱による「ルワンダ大虐殺」の悲劇を知っているからである。

 

 ハンス・ロスリングは、この200年間の世界の国々の進歩をBBC番組で、「所得」と「平均寿命」の二つの指標からバブルチャートで可視化し説明している。現在もユーチューブ動画で公開されており、そのなかで、日本の社会がどのように変化してきたかも語られる。

 

■ 『FACTFULNESS』を活用した授業

 

 アンナ・ロスリング・ロンランドは、私には見えなかった世界の生活水準の違いを、写真で見事に分類し可視化している。現在、世界は「貧しい国」と「豊かな国」に分断されているのではない。大部分はその中間にあることを、「水の調達」「移動手段」「調理方法」「料理」「ベッド」の5つの指標で彼女は示した。私たちは、世界中の普通の人々がどんな暮らしをしているのかを、その写真で確かめることができる。そしてそこに明らかな共通点を見つけることができる。

 

 『FACTFULNESS』の発行元である日経BP社はホームページで、ギャップマインダー財団の許可を得て、『FACTFULNESS先生向けガイド』を無料で公開している。おもに中学校や高校の社会科教員向けの授業ガイドである。

 

 私はこのコロナ禍の生活で、「事実(ファクト)」がいかに私たちにとって大事なのかをつくづくと感じることが多い。SNSで拡散する偏見や差別の言動が、子どもたちや若者の思考を歪ませ純真な心を傷つけてはいないかと、私たちは常に心悩ませている。

 

 私自身が世界を捉え違えていたように、生徒たちの世界に関する「固定観念」を取り除き、世界の未来に新たな展望を拓くため『FACTFULNESS』は活用できるだろう。私もさまざまな活用法を考えてみたい、と思っている。

(浩)

 

※ 本稿が採り上げた書籍は、次のとおりです。

『ファクトフルネス 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド著、上杉周作、関美和・訳、日経BP社・刊、2019.1

『ルワンダ中央銀行総裁日記(増補版)』服部正也・著、中公新書、2009.11

 

※ ハンス・ロスリングのユーチューブ動画のURLは下記のとおりです。

 

https://www.youtube.com/watch?v=jbkSRLYSojo

 

※ アンナ・ロスリング・ロンランドによる生活水準の分類のURLは下記のとおりです。

 

https://www.gapminder.org/dollar-street?lng=ja

 

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