「もういちどクイズを引っ張り出してみると、たった13年しか経っていないのに、同じ質問ができないことがわかった。正解が変わっていたのだ。ほんの短い間に、世界は変わっていた。知識はあっという間に古くなる。わたしたちがつくったクイズでさえも、いずれ使えなくなってしまうのだ」ハンス・ロスリング
■ ステイホームの読書
コロナ禍のステイホーム期間に読んだ本で圧倒的に優れていると思ったのは、『ファクトフルネス 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(以下、『FACTFULNESS』と表記します)だ。もう読まれた方も多いだろう。ビジネス書で国内発行部数が累計100万部を超えたというから、多くの社会人がその内容に共感し支持を広げているのがわかる。
本の冒頭で問われた「世界の事実に関する13問のクイズ」で私は、変化している世界の現実に関する知識がほとんどないことを知った。正解数はここで書くのも憚れるような結果だった。読み進めるうちに私は、自分には最新の世界に関する正しい知識が乏しいだけではなく、世界の見方・考え方にも課題があることを実感した。
著者のハンス・ロスリングはこの本を執筆した直後に亡くなった。いや正確には、病気で死期を知り、最期の仕事としてこの本の執筆を選んだのである。各章で語られる彼の幼少期の思い出や医師としての体験と逸話は、私に彼の人柄や人生観への深い共感を引き起こさせた。私はその体験や逸話をときには大笑いしながら読み、そしてときには深く納得して、喉を詰まらせ泣くのを耐えたこともあった。
読み終えて私は、この『FACTFULNESS』を、たとえば高校の探究の学習の時間に「世界の見方・考え方」のモデルとして取り入れてはどうだろう、と考えた。これから世界を動かしていく生徒たちに過去から現在へと変化してきた「世界のさまざまな事実」を伝え、希望ある「世界の未来」について語ることはとりわけ重要なことではないか、と思ったのだ。それが今回、この本を取り上げた理由である。
■ 『FACTFULNESS』による世界の捉え方
まず、次の2つの質問に答えてほしい。
「質問1 現在、低所得国に暮らす女子の何割が、初等教育を修了するでしょう? A20% B 40% C 60%」
「質問2 世界中の1歳児の中で、なんらかの病気に対して予防接種を受けている子供はどのくらいいるでしょう? A20% B 50% C 80%」
多くの人は正解できないのではないか。私は本書の13の質問に答えるときに、手元にメモ用紙とボールペンを用意して、1問1問少しでも、自分が見聞きした情報や読書から得た知識を基にして答えるように努めた。このふたつの質問に答えるとき、真っ先に私の頭に浮かんだのは、毎年末に送られてくる日本赤十字社や日本ユニセフ協会などの募金パンフレットに載っている子どもや赤ちゃんの写真とそこに添えられている文言だった。アフリカでは今この瞬間にも、栄養失調や疫病で大勢の赤ちゃんが亡くなっています。子どもたちは毎日、遠い水汲み場まで飲み水を汲みにいかねばならず、学校に通うことができません、と。このパンフレットの印象は強く私たちの心に残る。だから私は、この子どもたちにワクチンや井戸を届けるために支援をしなければと思い、わずかではあるが寄付をしている。
このようなパンフレットの文言や印象とは別に、変わりつつある世界の現実を理解する別の指標を示したのが、『FACTFULNESS』である。当然のことだが日々、世界は変化している。それを私たちが知る方法はメディアによる報道が多いだろう。しかしメディアは切り取ったひとつの事実を見せてはくれるが、私たちは『FACTFULNESS』がいう「10の本能」からその変化の度合いや方向を見誤りがちだ、ということを本書は教えてくれる。
■ 『FACTFULNESS』が教えること
多くの人が13の質問に正解できないのは、まず「分断本能」がはたらいているからだ、とハンス・ロスリングは語っている。「分断本能」とは、さまざまな物事や人々を2つのグループに分けて考えるという人間の本能だ。たとえば、世界を「先進国」と「途上国」にわけたり、「豊かな国」と「貧しい国」にわけたりする本能的な考え方である。1960年代前半、私が小学生だったころ日本は、工業生産で欧州に追いつき「先進国」になろうとしていた。今から60年前、国内初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の放映が始まり、イギリスではビートルズがデビューしたころのことだ。そのころ確かに世界は「先進国」と「途上国」の2つに分断されていた。そのなかで日本は、戦後の高度経済成長を牽引した1964年の東京オリンピック開催を契機にして経済発展の階段を駆け上がっていったのである。
現在、世界の人口の75%は中所得の国に住んでいる。世界は決して「豊かな国」と「貧しい国」に分断されているのではない。多くの世界の国々もまた、日本が駆け上がった階段を着実に上ってきたのだ。ところが、日本が「先進国」になってからも私は、そのことに注意を払ってこなかった。それどころか世界の現実を、データを基に理解しようとはせず、古い誤った世界観をもったまま地球の未来を思い描いていたのではないか、と思ったのである。(続く)
(浩)
※ 本稿が採り上げた書籍は、次のとおりです。
『ファクトフルネス 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド著、上杉周作、関美和・訳、日経BP社・刊、2019.1