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明日へ届ける手紙⑮「集団免疫とワクチン」

 

■ 『二十四の瞳』の朗読

 

 全国に緊急事態宣言が発令されてから、私の生活は「ステイホーム」で様変わりした。長くなった在宅時間に、それまでほとんど聴かなかったラジオを聴くようになった。とくに『NHKラジオらじる★らじる』をよく聴くようになった。というのは、聴き逃した番組も放送後1週間はいつでも自由に聴ける「聴き逃し配信」が行われているからだ。

 

 その番組のなかで今は『朗読』をよく聴いている。(『朗読』の配信期間は約2か月)『二十四の瞳』壷井栄【作】藤澤恵麻【朗読】である。朗読の藤澤恵麻さんは香川県高松市出身の若手俳優である。この名作の舞台が香川県小豆島だから、主人公の大石先生を想定して方言と声色を生かすために選ばれたのだろう。その若く明るく知的な声色は、大石先生を彷彿とさせ子供たちの生き生きとした姿を想起させて素晴らしい。私はパソコンで仕事をしながら聴く、この名作の『朗読』を楽しみにしている。

 

 『二十四の瞳』は昭和時代の初期、日本が戦争へと向かっていく時代を背景に描かれた物語だ。そのころ都会の一般市民も貧しかったが、地方はもっと貧しかった。

 

 第15回からは大石先生の教え子、松江の物語が始まった。小学校5年生になった松江が百合の花が描かれたアルマイト製の弁当箱を欲しがる場面がある。松江は級友が持っている弁当箱が自分も欲しくて母親にせがむ。しかし、貧しい松江の家にはそんな余裕はない。出産間近の母は赤ちゃんが産まれたら買ってやると口約束をするのだが、その母親は切迫早産で体調を崩して間もなく急逝する。松江は学校を休んで母親代わりに産まれたばかりの妹ゆりえの世話をせざるを得なくなる。やがてその妹も亡くなってしまうというやりきれなく悲しい展開だ。

 

 私は、このエピソードを身に詰まされながら聴いた。自分の少年時代のある思い出と重なったからである。

 

 ■ 小学校家庭科の授業

 

 私は、戦後の高度成長時代といわれる1960年代に少年時代を過ごしたのだけれど、そのころ私の家はまだ貧しかった。

 

 私が小学校5年生になるとき、5年生から始まる家庭科の授業で使う「裁縫道具セット」を購入するように学級で申込用紙が配られた。家に帰って母親に見せると、裁縫道具はあるから買わなくてよいと言われた。私はまた、兄姉のお下がりを貰うのかと失望した。しかも、兄のときにも「裁縫道具セット」は買わなかったようで、のちにそれは長姉が使った道具だとわかった。

 

 そうして始まった家庭科の裁縫の授業が、私は嫌いになった。運針はさほど苦手ではなかったが、練習用の布や作品つくりの布地が自前だったので、級友が購入した裁縫セットを前提にした先生の説明は理解できないことが少なくなかった。そしてなによりも困ったことがあった。級友が購入した裁縫箱には男子には男子向けの、女子には女子向けの好みの絵柄が描かれていた。しかし、長姉からもらった私の裁縫箱には、花模様が描かれていたのだ。最初の裁縫の授業のとき、級友はそれを目ざとく見つけて冷やかした。幸いにも裁縫の時間は、学期に数回しかなかったからまだ辛抱できたが、裁縫の時間が来るたびに、私はこそこそと裁縫道具箱を隠しながら授業を受けるようになった。

 

 ■ 貧しさがもたらした「集団免疫」

 

 松江の弁当箱や私の裁縫道具箱のような経験は、その品物がなんであったかは別にして決して稀なことではなく、その当時の子供が共通して体験したことではないか。貧しさゆえのこの学校での共通体験が、今の私たちの心の逞しさや他人への憐憫の情を生んでいると、私は思っている。

 

多くの大人は、貧しさゆえに学んだその経験を胸に秘めて生きている。それは語られることの少ない「暗黙知」として社会に共有されているのだと、私は思う。それを譬えるなら新型コロナウイルス感染症の「集団免疫」である。感染症が収まるためには、その集団に一定割合の集団免疫が成立することが必要なのだという。つまり貧しさのなかで育った私たちは、集団免疫を獲得してその貧しさがもたらすさまざまな心身の「感染症」を克服してきたとはいえないか。

 

 たとえば、全国各地で展開されている「子ども食堂」は、運営する方々の個人的な体験に基づいた「免疫力」から出発しているように、私には思える。幼かったころ家族で食卓を囲めなかった経験、子供の知恵ではどうすることもできなかったひもじさの体験、そういったさまざまな共通体験が、この活動を運営する方々の原動力のひとつになっているのではないかと、私には思えるのだ。

 

 ■ 豊かな時代に必要な「免疫力」

 

 一方、豊かさのなかで育った子供たちの「免疫力」とは何なのだろう。「みじめさ」や「恥ずかしさ」や「ひもじさ」や「我慢」や「辛抱」から学べない育ちは、どのような「免疫力」をもつのだろう。そして豊かな社会でそんな体験をせずに育った子供は将来、どんな社会を築くようになるのだろうか。我が国では現在、18歳以下の自殺者は年間約400人(平成30年度警察庁調査)いて、増加傾向にある。小中学校の不登校児童生徒数は年間約16万5千人(平成30年度文科省調査)いる。私たちは、経済的豊かさが一概に子供を幸せにはせず逞しく成長させられないこのような現実を見過ごしてはならないだろう。

 

 これまで経済的な豊かさは社会の幸福度の指標だった。しかし敗戦後、類を見ない「豊かさ」を実現した我が国がアフターコロナ時代にめざすべき目標は、ひたすら個人の欲望を追求しものに溢れた社会を築くことではないだろうと、私には思える。

 

 豊かな時代には、豊かな時代に必要とされる「免疫力」があるだろう。それがどういうものなのか残念ながら私にはうまく説明できないけれど、新型コロナウイルス感染症のワクチン開発が急がれているように、現在、展開されているさまざまな社会貢献活動や教育プログラムの知見を活かして、効果的な教育の「ワクチン」が開発されることを期待している。

(浩)

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