続・学校の四季㉑「少年の日の約束」(下)
■ 再会のための切符
「おーい!」とタカシは片手を振りながら、少年のいる場所へ向かって走っていった。すこしずつ少年に近づくにつれて、Tシャツのロゴマークがはっきり見えるようになってきた。〈間違いない!あれは、僕らが作ったユニホームだ〉〈ペットボトルロケットの発射は僕への合図だったんだ。ここにいるよ、こっちに注目してよ、そう合図していたんだ。でも、ヒカリはなぜ来ないんだ?あの男の子は誰なんだ!〉
ハッ、ハッと息が切れそうになりながら、タカシは少年の近くまで来た。向かってくるタカシに気がつくと、少年の表情はぱっと笑顔に変わった。
「やっぱり、ママが言ったとおりだ。あなたがタカシさんですね。僕はヒカリの息子、ハルキと言います」
「ハルキくんか。ヒカリさんの息子さんなんだね」
タカシは息を切らせながらそう言うと、安堵して、へなへなとその場に座り込んだ。
ハルキはママが来られない事情を説明し、託って来た荷物をタカシに渡した。美しい包装紙を開けるとそこには、ヒカリからのメッセージと、中学生のときにタカシが作った封筒が入っていた。タカシは驚いて、ハルキの顔を見た。
「ママはこの封筒のことはなにか言っていなかったかい?」
「渡せばわかるって言っていたよ」
タカシとハルキは並んで土手道に続く階段まで歩いた。そして、階段横の草むらにふたり並んで腰掛けると、タカシは背中のバッグを横に置いて、ハルキから渡されたヒカリのメッセージカードの封を開いた。
■ 記念ホールの舞台
国際学会での発表は、仙台にある大学構内の記念ホールで行われることになっていた。前日に、仙台駅に到着すると、ヒカリはまず、マコトが被災した場所を訪れて花を手向けた。〈マコトさん。明日の発表を天国から応援していてね〉そう語りかけながら手を合わせた。
ヒカリがマコトの被災を知ったのは、東日本大震災が発災して数日後のことだった。ヒカリの友人から〈テレビのニュースにマコトの名前が出ていた〉と連絡があったのだ。ヒカリはすぐに実家の両親に連絡をして、マコトの両親に確かめてほしいと伝えた。数日後、実家の父親から「事実だった」と報告があった。ヒカリの衝撃は大きかった。マコトはヒカリにとって親友でありライバルでもあった。
弔問に訪れた日に、ヒカリはマコトの両親に、20年後の再会の日に返却する予定だったマコトが作った封筒を返した。中学校の卒業式の日、3人で交換した「封筒」だった。ヒカリはマコトの封筒を預かっていた。3人はそれを、「再会の切符」と呼んで〈20年後にきっと3人で会おう〉と約束したのだった。母親は、「ヒカリさん、ちょっと待っててね」と言って席を外した。すこしして戻ってくると母親の手には別の「封筒」が握られていた。
「これで、ようやく謎が解けました。なぜ、マコトの遺品のなかにタカシさんの封筒があるのかわからなかったのです。未開封だったので中身を見るわけにはいかないと遠慮していました。タカシさんの家族はアメリカへ引越しして連絡をとる方法がわかりません。8年後に再会したときに、あなたからタカシさんにこれを返してくれませんか」
ヒカリは学会の最終発表者にあたっていた。この学会注目のメインスピーカーと言ってもよかった。それほど、彼女の論文は革新的な内容を含んでいたのだった。
「マコトさん。あなたの力を貸してね」
そう言って深呼吸をすると、ヒカリは資料を片手に握りしめ舞台に上った。
■ ヒカリのメッセージ
タカシは、ヒカリが書いたメッセージを読み始めた。中学生のときのように、几帳面で美しい文字が並んでいた。
「タカシさん。3人の約束の日がやってきました。やっぱり来てくれたのですね。ありがとう。本当にありがとう。私も絶対、行こうと思っていたのですが、行くことができません。それで、私の息子に替わりに行ってもらうことにしたのです。
あなたがこの文章を読んでいる今、私は仙台にいて、私の人生でいちばん大事だと思う発表の舞台に立っています。3人で科学実験をしていたあのころから研究者として一心不乱に研究を続けてきた今日までの、集大成の発表をしています。
マコトさんも今日、約束の場所に来ることができません。マコトさんは2011年春、東日本大震災で被災し亡くなりました。続けていた研究の道半ばで、マコトさんは研究者としての未来を絶たれました。私は、彼の無念さが痛いほどよくわかります。だから、今日の発表の場は、私だけの発表の場ではなく、彼の無念さと志まで含めた発表の場だと思っています。私は、なんとしてもこの発表を成功させて、この研究成果を世界のどこかの企業が興味をもち、研究開発をして製品にしてくれることを切望しています」
タカシは、ヒカリのメッセージを膝の上に置いた。〈ヒカリはいま、闘っている。あの日の僕らのように、未来のために闘っている。ヒカリ、僕はここで応援しているよ〉タカシは目を閉じて祈った。
ヒカリの続きのメッセージには、8年前の弔問で、マコトの封筒は両親に返却したこと、そのときに3人の約束を知った両親からタカシの封筒を預かったことが書かれていた。最後に、約束は守れなかったけれど、ハルキを私だと思って、いまのタカシさんの思いを話してやってほしい、と締め括られていた。
■ 封筒の中身
「タカシさん。ひとつ質問してもいいですか?3人が約束の日に交換したその封筒の中身はいったい何なんですか?」
「卒業前に3人がそれぞれ書いた人生の『目標達成シート』が入っているんだよ。再会の日に3人揃って封を開けて、自分たちが歩んだ20年がどんな道のりだったのか語り合おうって約束をしていたんだ」
「ちょっと借りるよ」と言うとタカシは、ハルキが持っていた工作道具箱からカッターナイフを取り出して、丁寧に自分の封筒の封を開いた。そして、20年前にタカシが書いた目標達成シートを取り出した。
「見てごらん。中央にまず最終目標を書くんだ。その周りに、最終目標を実現するために必要な8つの重点目標を立てる。そして、その重点目標それぞれにまた、8つの具体目標を決めたものなんだ」
タカシは、91のマス目で区切られた目標達成シートを指で示しながら説明した。タカシのシートの最終目標には、『博物学者になる』と書いてあった。〈そうだった。これが僕の目標だった〉とタカシの頭には中学生当時の記憶があざやかに甦っていた。
「ハルキくん。きみを『ヒカリ科学クラブ』の特別会員に推薦するよ。あのペットボトルロケットは、発射角度も最高到達点も僕らのクラブ基準では立派な合格点だったから」
「それは嬉しいですけど、なんだか複雑な気もするなあ」
「どうして?」
「あのロケットはね。半分はママが作ったものだから」
「あは、すごいママだ、やっぱり」とひとしきり笑ったあと、タカシは横に置いていたバッグのジッパーを開けて、ヒカリのメッセージと自分の封筒を大切に納めた。
■ 約束の日
「忘れるところだったよ。きみのママにこの封筒を渡すために、僕はアメリカから来たんだった」と言うと、タカシはバッグの中から入れ替わりに、ヒカリの封筒と紙袋をひとつ取り出した。
「ママの封筒の目標達成シートにはなんて書いてあるんだろう?科学者になる、かな?」
「ママが帰ったら、見せてもらうといい。目標達成シートはきみも、中学生になったら、どこかで学ぶ機会があると思うから、実際に作ってごらん。きっと、自分の生活の道標(みちしるべ)になるから」
「このお土産は特別会員になったきみにプレゼントするよ。スミソニアン博物館のTシャツと記念品だ。それからママに、この封筒を渡すときに、こう伝えてほしい。『僕はこのシートに書いた最終目標を達成することはできなかったけれど、今もまだ自分の夢を追い続けているよ』って」
「ところで、きみは、今日、明日とどうするんだい?」
「大丈夫。ママもパパも出張の日は、ママの実家に行って泊めてもらうことになっているんです。いつものことだし、それに、じいじもばあばも喜んでくれるし」
「そうか。なら安心だ」
「タカシさんは、これからどうするんですか?」
「今日は東京のホテルに泊まって、明日はマコトの命日だから、ここへ戻って来てお墓参りをする。それから、東京の科学博物館をスタートに、4日間で関西や九州の博物館を廻れるだけ廻ろうと計画しているんだ。〈一緒に行こう〉ってマコトも誘っていくよ」
「ハルキくん。きみが将来もし、アメリカに来たいとか、アメリカの大学で勉強したい、留学したいとか考えるときがきたら、私のことを思い出して連絡してきてほしい。必ず相談に乗って手助けをするから。約束する」
そう言って、タカシは名刺を取り出しハルキに手渡した。
「ありがとうございます。でも僕まだ、小学生ですから」
「決心するのに、目標を決めるのに、小学生も中学生もない。それは僕ら3人がいちばんよく知っている」
そう言うとタカシは、草むらに寝そべった。
「『春風や 闘志いだきて 丘に立つ』」
「なんですか、それ」
「高浜虚子の俳句さ。いまの僕の気持ちを表しているんだよ。ハルキくん、約束だよ」
■ エピローグ
20××年春。ハルキは長じて、アメリカでバイオベンチャー企業の創業者となり、のちに故郷の研究学園都市に日本本社を創設することになる。創業20周年を記念して、ハルキは、タカシと初めて出会った川の土手道に数十本の桜を植樹し、3本並んだ桜の木の下にモニュメントを建てた。
『ヒカリバイオテック発祥之地』
その銘板には次のように記されていた。
「ヒカリバイオテック株式会社が米国で創業するに至った契機は、2019年春に、創業者が、弊社の最初の出資者で共同経営者であったタカシと、この地で出会った出来事まで遡ります。この地は、創業者の母親で創業時の基幹技術の発明者であったヒカリが、中学生時代に仲間2人と創った『ヒカリ科学クラブ』の集合場所でもありました。
その仲間のひとりが、のちに弊社の共同経営者となるタカシでした。もうひとりの仲間マコトは、若き研究者であった2011年春、不幸にも東日本大震災で被災し亡くなりました。しかし、彼の志はヒカリとタカシに受け継がれました。ヒカリバイオテック株式会社が今日まで、多くの革新的なバイオ技術を世界中の企業に提供することができた、その礎は『ヒカリ科学クラブ』にあったといえます。3人の仲間はすでに鬼籍に入りましたので、創業20周年にあたり心から感謝と敬愛の気持ちを表すとともに、ここに、その歴史を銘記しモニュメントを建立します。
20××年春 満開の桜の下 約束の日に
ヒカリバイオテック株式会社CEO ハルキ」
(浩)
※ 「続・学校の四季」シリーズは創作で、登場人物や団体名などは架空のものです。