■ 妹の才能
公園の花壇の前でユキコが遊んでいるのを、タカシは、ブランコを漕ぎながら眺めていた。ベンチには、2人のランドセルが並んで置かれている。すこしすると、花壇からユキコの歌声が聞こえたような気がした。〈うん?どこかで聞いたことのある曲だな〉とタカシは思った。
♪ファ二 ファン、ファニ ファン ファン♪
♪ファ二 ファン、ハ ハ ハウス♪
それは聞き覚えのあるメロディだった。
〈教育テレビの『えいごであそぼ』で流れている曲だ。ユキコはあの曲を覚えている。しかも英語の発音で歌っている!〉
「そう言えば」とタカシは思い出した出来事があった。すこし前、タカシは公園で同じような光景を見たことがあったのだ。そのときも、ユキコはなにか独り言を言いながら遊んでいた。その独り言は物語のようで、さっき妹と一緒に学校の図書館から借りてきた絵本の内容に似ていた。タカシは気になって、妹のランドセルからその絵本を取り出すとページをめくった。繰り返される妹の独り言は、その絵本に書かれていることばと一字一句違わず、同じだった。
タカシは驚嘆した。〈ユキコは、まだひらがなを習っていないのに字が読める。すこし前にいちど読んだだけの絵本の内容も、英語の歌も、覚えている!〉
〈ユキコは、いちど聞いたことを、すぐに正確に覚えてしまう能力があるのではないか〉
タカシにはそう思えた。次の日から、タカシは妹と対話するときには注意深く返事をして妹を観察するようになった。ユキコが「これなに?」と訊いてきたり、「どうして?」と尋ねてきたりするときは、慎重に丁寧に答えるようになった。事実、ユキコは、いちど尋ねたことはふたたび尋ねることはなかった。
■ 兄のルール
タカシは、〈ユキコの質問には、不確かなことは教えない。曖昧な記憶はあとで調べてから教える〉ように自分なりのルールを決めた。そのころ、ユキコの質問は「ことばの意味」と「動植物の名称」が圧倒的に多かった。「ことば」は国語辞典を調べて答えられるので難しくはなかったが、「動植物の名称」を正確に答えるのは簡単ではなかった。そこでタカシは、理科が得意な級友や塾の友達にその都度、質問した。それでもわからないときは、探す方法を教えてもらったり、どんな本で調べたらいいのか紹介してもらったりもした。
このルールは、タカシ自身の学習態度にも少なからず影響を及ぼした。まず、タカシが関心を示さず適当に扱っていた事柄も掘り下げて考えるようになった。また、学習に取り組む習慣や方法が変わり、タカシの知識の幅は格段に広がった。タカシはこの学習習慣のおかげで、日常生活とは異なる別次元の世界の扉が開かれる、そんな体験をするようになった。タカシは次第に、自分に向いているのはこういう勉強法ではないか、進学塾で例題演習を聞いて入試問題を解くことではないのではないか、と考えるようになった。そんな思いが強く募ってきたちょうどその時期に、ユキコの一風変わった「マイブーム」が起きたのだった。
■ 妹のマイブーム
そのユキコの「マイブーム」とは、「野鳥」だった。土曜と日曜日にふたりで出かける総合運動公園には遊歩道があって、そこでは野鳥が樹木の枝に止まって鳴いていたり草地で餌を探したりしている姿をよく見かけた。するとユキコはすかさず、「あの鳥はなんて名前?」と質問してくるのだ。
タカシは答えられずに困ってしまった。「知らない鳥だなあ。あとで調べるからね」と言っては、ノートに鳥の絵を描き、形の特徴や鳴き声などをメモしていった。それを後日、図書館から借りた『野鳥図鑑』で調べてみたのだが、頭で覚えている野鳥の特徴や鳴き声を、写真の野鳥と一致させるのは簡単ではなかった。そもそも、野鳥の鳴き声は『野鳥図鑑』には載っていなかった。それでタカシは、友達に教えてもらった公園管理事務所の隣にある『自然観察センター』を訪れて訊いてみることにしたのだった。
応対してくれた指導員さんは、作業着姿でシアトルマリナーズの野球帽をかぶった年配の人だった。いかにも専門家という雰囲気が漂っていて、笑顔が優しかった。「おじさんも小学生のころから野鳥が好きで、よくバードウォッチングをしてたんだよ」とそのときの失敗談を楽しく話しては、次々と思い出話が弾んだ。
タカシは、持ってきたノートを開いて、教えてほしい野鳥の特徴を図で示しながら説明をした。すると、「ああ、それは『イソヒヨドリ』だ」「目の横に黒い線があるのは『ハクセキレイ』だな」「よく木の幹をつついているのは、『コゲラ』」「お腹にネクタイみたいな黒い線があるのは『シジュウカラ』」と、迷うことなくすぐに答えてくれた。やはり専門家はすごい、とタカシは尊敬して憧れた。
「そうだ。来月の日曜日に、野鳥観察会があるから参加するといい。観察用の双眼鏡は私が貸してあげるよ」 タカシが、妹も連れてきていいかと尋ねると、「もちろん!」とまた笑顔になった。
■ 野鳥観察とロンダート
翌月の日曜日に、母子3人で、総合運動公園の野鳥観察会に出掛けた。その日は、ちょうどお母さんも仕事が休みだった。受付は公園管理事務所前だったので、3人で手をつないで歩いて行った。すこし歩くと右手にある体育館から歓声が聞こえてきた。
「あれはなに?」とユキコが訊いた。タカシは、玄関前に看板が立ててあるのを見つけて、「『キッズ体操教室』って書いてあるから小さい子どもたちに体操を教えているんだよ」と答えた。ユキコはお母さんの顔を見上げて、「わたしも行きたい!」とせがみ始めた。タカシは〈あ~あ!〉と困惑した。ユキコは言い始めたら聞き分けがない。お母さんもそれを悟ったのか、タカシの目を見て〈どうする?〉と尋ねていた。
「じゃあ、行ってきなよ。観察会はぼくひとりで行ってくるから」と返事をした。タカシは、自分が代わりに野鳥観察をしてあとでユキコに教えればいい、と考えた。なによりも自分がどうしても観察会に参加したかったのだった。タカシは、母とユキコを体育館に見送ると、ひとり野鳥観察会へと急いだ。
野鳥観察会は、魔法にかかった夢の時間だった。あっという間に2時間は過ぎて、タカシは参加者がもらった『野鳥手帳』を片手に、そこに書き留めたメモを読み返しながら体育館へと急いだ。
体育館に近づくと窓の中から歓声や拍手が聞こえてきた。フロアの出入り口ドアを開けると、一斉に「ユキコちゃ~ん!」と歓声が上がった。タカシは、目の前の特設マットの中央で、小中学生の大きな体操選手に交じってひときわ小さな身体のユキコが側転をしているのを見た。そして最後には、「ロンダート」を決めて着地したのだった。ふたたび一斉に「ユキコちゃ~ん!」と大歓声と拍手が沸き上がった。(続く)
(浩)
※ 「続・学校の四季」シリーズは創作で、登場人物や団体名などは架空のものです。