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元・公立学校の養護教諭 妖怪先生のつれづれ話⑧中学校編 「忘れられない出会い2 不登校になった生徒」

不登校の女子生徒

私が中学校に赴任した4月、新1年生として就学したTさんという女子生徒がいました。彼女はひと月もたたないうちに教室に入れなくなってしまったのです。

 

当時は、私も異動で「新1年生」でしたので、自分の仕事(学校保健)でいっぱいで余裕がありませんでした。

しかし、担任や生徒指導担当から「一刻も猶予なし」と言われ、彼女を保健室で対応するようになったのです。

 

Tさんは、中1にしては少し背が高く、ちょっぴり大人びた雰囲気を持った女子生徒でした。話し方もしっかりしていて、「こんなしっかりした子が、どうして教室にはいれないのか?」という印象を持ったことを覚えています。

 

「とにかく彼女を完全不登校にならないようにしなくては……」の思いで、サポートが始まりました。担任は、学年主任を兼務していましたので、すぐに1学年のメンバーや生徒指導担当に、彼女の情報を伝えて、学校全体でサポートするよう働きかけをしてくれました。

 

Tさんは、毎日、保健室でいろいろな人の悪口や、不平不満を言ってきました。

私はそれには反論せず、とにかく話を聞くことに徹したのです。

もちろん、ベテランの先生方のご助言もいただき、彼女への支援を日々考えながら接しました。

しかし当時の私は、今日のような不登校へのアプローチのしかたがわかっていませんでしたから、まるで手探り状態でした。

 

そのうちにわかったことは、「小学校の時の彼女は、女王様であったこと」「ご両親が若くとてもやさしい」という事でした。

このことが、私の心に終始引っかかったのです。

 

しかし、打開策を見いだせないまま、Tさんは、次第に心身共に体調が悪化して、欠席する回数が増えていったのです。

「気分が悪い。お腹が痛い。頭が痛い。」等の症状を訴え、心身症的症状と抑うつ状態に陥ってしまいました。

そして、それをもっと悪化させたのは、本人と担任、本人と両親との関係の悪化でした。

そのため、学校や家庭の中で彼女とコンタクトをとれるのは、私一人になってしまったのです。

 

彼女の精神状態と焦る自分

彼女が不登校となり、私は焦りました。

 

しかし、彼女の心はとてもかたくなで、学校不信と親不信に陥っていたため、私はそれを改善したくもう後には引けませんでした。

 

そんな半年ほど過ぎたある日、夜の11時頃に彼女から電話がかかってきました。

「先生、今、家を出てきた」大泣きのTさんの声でした。

私は、驚いて「とにかくそこを動くな。すぐに行くから」と伝え、車で彼女を迎えに行ったのです。

幸い、Tさんは、電話ボックスの中にいて何事もなかったのでホッとしました。

とりあえず、親御さんに連絡して、しばらくの間、車の中で話をさせてもらうことにしました。

彼女は、泣きながら、自分の不安定さにおびえる気持ちを話し「誰も信じられない」と繰り返し訴えます。

3時間ほど話を聞いた後、私は、彼女に提案をしました。

「明日、いや、もう今日か。必ず学校に来てほしい。どうしてもお願いしたいことがあるから」

 

翌日、Tさんは寝不足で青白い顔をして、登校してくれました。

 

実は、私には、かなり気になることがあったのです。

それは、彼女の「最近怖い夢をみる。」「眠れない」との訴えでした。

「どんな夢?」

「体がちぎれる夢」

そこで、私は、彼女にその絵を描いてほしいとお願いしたのです。

「いいよ」

Tさんは快く引き受けてくれました。

それは、画用紙いっぱいに、「頭がもぎれて血が噴き出る場面」「手足がもぎれて血が噴き出る場面」等が描かれているものでした。

また、彼女は、色付きだったという事で、色鉛筆を使って描いてくれました。

 

私は言葉を失いました。

「これは、学校対応だけでは無理だろう。医療対応の段階だ。」と考えた私は、すぐに担任や保護者(母親)を呼んで、子どもの心療内科の先生を紹介して、早急に受診していただきたいと伝えたのです。

 

彼女のSOSのサイン

受診後、彼女は入院しました。

診察の参考になれば……と思い、彼女の描いた夢の絵を医者に渡しました。

医者からは「絵が参考になった」と言われましたが、彼女の入院は長期にわたりました。

 

退院後は、リハビリのために、いろいろな体験ができる施設に入り、学習をしながらリハビリを進めていったようです。

 

残念ながら、病名は最後まで知らされませんでしたが、今思えば、親の養育態度や彼女の発達上の問題に起因して、神経症的な症状が出たのではないか……と私は推察しています。(当時は、私自身もまだまだ経験が浅く、深く掘り下げた考え方ができませんでした)

 

その後、体調を取り戻した彼女との再会は3年生の卒業式でした。

顔色よく、元気になったTさんは、最後の最後に登校することができ、卒業式に出席することができたのです。

彼女が、親とあいさつに来てくれて私達は抱き合って泣きました。

卒業証書をもらう姿は、まったく迷いのない堂々とした姿でした。

そして、希望の高校へと進学していったのです。

 

今思えば、Tさんの不登校の原因は、いくつか考えられます。しかし、当時の私は、ほとんど知識がなかったので、原因を整理できず、その場限りの対応しかできませんでした。

 

しかし、絵が彼女のSОSのサインを教えてくれました。

それは、彼女の精神が極限状態だったことを物語っていました。

もちろん、彼女以外にも不登校生徒はたくさんいて、その生徒たちともかかわっていましたが、Tさんとの出会いは、「これからの時代は、教育相談、カウンセリングの時代」であることを痛切に教えてくれました。

そして、この出会いが、私のライフワークになる「児童心理」の出発点となったのです。

(元保健室の妖怪先生)

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