妖怪先生、小学校から中学校へ
さて、このコラムも今回で5回目です。
このように、新採の時代を楽しく過ごした小学校でしたが、ついにお別れの時が来ました。
「新採3~5年」で異動の対象となる当時、私の「5年間」が終わろうとしていたのです。
仲良くなったおなじみの子どもたちや、その保護者の方々との別れはつらいものでした。
家に帰って、部屋で泣いた思い出が残っています。しかし、この5年間が私の基礎を作ってくれました。
いよいよ、妖怪先生は中学校に赴任します。
小学校とは違い、中学生は身長も大きければけがの具合もとても大きい!
新しい私の学校はK中学校。
ここは、全校生徒330名の、駅から少し離れた高台にある中規模校です。
異動先が中学校という事もあり、「どのように保健室を運営したらよいか」不安を胸に着任しました。
新任式でまず驚いたのは、身長170cmくらいの生徒の山でした。私は155cmしかありません。生徒の大きさに圧倒されながら、私はその中で埋もれてしまいました。
このように、見ることや聞くこと些細な事で驚きつつも、私の新しい学校生活がスタートしたのです。
まず、保健室の大掃除をして環境を整え、春の健康診断等の保健行事を一つ一つ実施していきました。小学校とはやり方も内容も違うため、慎重に気を配りながらすることを心がけました。
また、生徒たちは体が大きいため、けがひとつにしても大事になることが多かったです。私が着任した中で起こったけがは、複雑骨折や、貧血で倒れて顔面を強打して自分の前歯で口腔を貫通したりなど、かなり派手にやってくれるものですから毎日が冷や汗ものでした。
こんなことが起こるため、学校医や学校歯科医との連携や、地区内の医療機関との連携は欠かせず、時には1日がかりで医療機関引率になることも……。そんな学校生活ですから、毎日の帰宅が夜の9時や10時となってきたのです。
生徒指導を担うことになり、生徒と衝突することも……
しかし、病気やケガ以上に大変だったのは、様々な生徒指導上の問題です。これが、待ったなしで後から後から出てきます。そのため、私は、いつの間にか職場の生徒指導のチームの一員として、動くことを余儀なくされていきました。
ところで、この頃は、保健室には、朝から無気力な生徒、教室に行きたくない生徒、不登校傾向の生徒等、時には休み時間に5~6名いることがありました。
必死にひとりひとりの生徒に対峙していたそんなある日、一人の「予防接種の予診票」を持ってこない生徒の情報を担任から得ました。
この頃は、学校で予防接種をしており、3日後に行われる予定となっていました。学校医との関係もあり、できるだけ接種日に実施できるように、かなり神経を使う行事の一つでした。
その男子生徒A君は、何回催促しても持って来ないということで、私は、彼を呼び出し問い詰めました。
しかし、彼ははぐらかして要領をえません。
それどころか、「注射なんて関係ね~よ。先生、関係ね~こというなよ。うざい」
と開き直った態度をとってきたのです。
それを聞いた途端、私は、頭に血が上り、彼の頬をぶってしまいました。
当時、「しっかり保健的行事をやらなければならない」「学校医に迷惑をかけられない」との思いを強く持っていた私は、完全に冷静さを失っていました。
すると、彼は……なんと泣き出してうずくまってしまったのです。それが、尋常でない泣き方だったため、驚くと同時に、どうしていいかわからなくなり、仕方なく、落ち着くのを待っていると、彼は泣きながら話し出したのです。
それは、
「彼の家は、ご両親が不和で、暴力もあり不安定な家庭であること。そして、食事等もあまり準備されていなく、家での食事もままならず、親とも話をしない」
という驚くべき話でした。
教師として学んだ「生徒のバックグラウンドを知ること」の大切さ
それを聞いた途端、返す言葉が出ず、私は、彼の背中をさすりながら、ただただ謝ることしかできませんでした。
担任と話し合い、親に連絡をして予防接種の了解を得て実施するすることができましたが、その後3日間、彼は保健室へは来ませんでした。
私にとっては、不安で張り裂けそうな時間でした。
しかし、予防接種から4日目、「ちわ~先生」と彼が、休み時間にいつもの調子で来てくれたのです。
私は心の底から心配していたため、懲りずにまた保健室にやって来てくれたことが、本当にうれしくて、つい彼の手をとってしまいました。
そして、彼と私は、今まで以上に仲が良くなり、それは彼が卒業するまで続いたのです。
この体験は、「生徒を考えず、自分のことばかり考えていた事への反省」と「子ども達の行動には意味があり、そのためには生徒のバックグラウンドを知ることの大切さ」を私に教えてくれたのです。
この「気づき」が、後年、私のライフワークとなる「児童心理の研究」のきっかけとなったのです。
(元保健室の妖怪先生)