はじめまして。妖怪先生です。
こんにちは。元公立学の養護教諭、「妖怪先生」です。
自分で「先生」もなにもないとは思いましたが、とりあえず、この名前でしばしのお付き合いをよろしくお願いします。
現職中は、「妖怪」のほかにも、「ゴリラ」や「ゾンビ」など、なかなかパンチのある呼ばれ方をしてきた私です。
そんな私が、ウン十年の養護教諭経験をもとに、子どもの教育についていろいろな思いや考えさせられたことを、「つれづれ話」としてお届けしたいと思います。
養護教諭を志望した動機は?
ところで、養護教諭という職種のイメージは、「保健室の先生」が多いですよね。
昔は、この保健室を拠点として、子ども達や職員の方々の健康に関する活動をしてきましたが、現在では、その専門性を生かした授業を実施するなど活動が広まっているのです。
私が教員を目指した理由は、特段高尚な目標があったからではありません。
父から大学卒業後の就職に、行政の公務員か、学校教員かの選択を迫られたからです。
私の父は、バリバリの行政マンでした。
そして、超がつくほどの頑固親父でして、いろいろなところでぶつかる関係でした。
私の心の中で、きっとその反発があったのでしょうね。どちらも合格したのですが、迷わず父とは違う「教員」を選びました。
養護教諭はどうしたらなれるの?
さて、ここで一度まじめなお話しです。
一般の教員は、教員養成課程はもちろんですが、一般の学部(経済学部や理学部)、また、通信教育などでも免許が取れます。
養護教諭の場合も、大学・短大・大学校・専門学校の養護教諭養成課程のある教育・保健・看護系学科などを卒業することで取得できます。
また、近年は通信教育でも取得できるようになり、昔より、幅広い選択肢ができるようになってきているようですね。
実際、私の仲間にも、短大の課程の出身者や、4年生大学の養護教諭養成課程、医療系の大学校など様々な方がいらっしゃいます。
「でもしか先生」になるはずが……
実は私自身には、「動物生態学」を学ぶという夢がありました。
しかし、家庭の事情があり、私の人生はまったく違う「先生」という道に進むことになってしまいました。
ですから、私はこのようなこともあり、当時の世間でよく言われていた「でもしか先生」(先生に「でもなるか」、先生「しかなれない」という意味です)だったんです。
お恥ずかしい話ですが、採用試験に合格しても、「あっ合格したんだ」くらいの感動だったと思います。
また、教職の単位取得のための実習は高校でしたので、一部の生徒さんとしか接することしかなく、それよりも、研究論文を書くための実習となってしまいましたので、小中学校の教員といわれても、ピンとこなかったですね。
しかし、心が変わったのが、採用試験合格後の面接の時でした。
その面接で、赴任学校が知らされるのですが、
面接官 「あなたは、市内のK小学校に決まりました。」
私 「それは、どんな小学校ですか?」
面接官 「全校児童50名くらいの小学校ですよ。自然も豊富でとてもよい環境です。」
私 「・・・」
全校児童50名!?
なんという小規模な学校なのでしょうか!もう聞いてびっくり!でした。
まず、自分の住んでいる市内でありながら、私にとっては「どこにあるかわからない」小学校で、まったくイメージがつかめなかったのです。
そして、その後の説明に、この小学校は、「へき地複式」の小学校であると言われたのですが、その言葉の意味もわからず……。
また、一日に数本しか、バスがない地区だそう。
そんなことを聞いて、私の心の中に、少しずつ「ほんとに教師になるんだ」という思いと「採用はされたけど、私ごときに、これから始まる学校での仕事が務まるのか・・・という不安」が広がっていったのです。
「はたして、自分は養護教諭としてちゃんと仕事ができるだろうか?」
いよいよ赴任学校が決まり、教員ならだれでも最初は持つ思い、私も御多分にもれず、この不安から教員生活がスタートしたのです。
(元保健室の妖怪先生)