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学校の歴史巡り①「チャイムの謎」

 

 

■ 学校の歴史を巡って

 

 先日、テレビのクイズ番組で、「令和時代になって消えていく学校のあれこれ」を特集していました。観ていると、私が学校に勤めていたころと較べてもいくつも変わったことがあり興味深く感じました。一方、見終わってから少し残念な思いも残りました。何故そう変化したのかを掘り下げる解説が少なかったからです。時間に制約のあるクイズ番組ですから仕方ないのでしょうが、その物事が変わっていく原因や理由の解説を聴きたいと思いました。時代の流行には左右されにくい伝統的な学校文化が変化するとき、そのときには、今回のパンデミックで見られるように必然的な社会的条件があるだろうと考えるからです。

 

 そのことを踏まえて、今回から「学校の歴史巡り」を始めようと思います。次回以降、回が進むなかで不足する点について、できれば読者の方々から関連する地域の情報を提供していただいたり、資料や文献などを紹介していただいたりして、その事柄の変化の歴史を掘り下げていくことができれば、と考えています。

 

■ 学校のチャイム

 

 第1回に採り上げるのは「学校のチャイム」です。今もその音を聞けば誰でも思わず懐かしい気持ちが込み上げてくるあの「チャイム」は、どのようにして始まったのでしょうか。まずは、「学校チャイム」の歴史を巡ってみましょう。

 

 小・中・高等学校を問わず多くの学校で採用されているのが、校時を知らせる「ウエストミンスター・チャイム」と呼ばれる「チャイム」です。その名のとおり、「ウエストミンスター宮殿(英国国会議事堂)」にある時計塔ビッグベンが打ち鳴らす旋律です。この「チャイム」については以前、NHK総合テレビのバラエティー番組『チコちゃんに叱られる!』でも採り上げられたので、すでにご存じの方も多いかと思います。

 

 わが国で学制が始まってから、明治・大正時代や昭和の初期までは、学校では校時を知らせるために、担当する職員が鐘やベルを鳴らして校内を回っていたのです。しかし、大きな学校ですと、校内を回るのに時間がかかりますから、どうしても時差が生じます。それは不便ですしそもそも生徒には不評でした。

 

 また、第二次大戦後、鐘やベルの音は戦時下の警報を思い出させると不人気でしたので、もっと明るい時報が作れないかと考えた人物がいたのです。東京都大田区立大森第四中学校に勤めていた教員、井上尚美(いのうえ・しょうび)です。この人物はのちに、東京学芸大学の名誉教授になる教育学者・国語教育学者でもあります。彼は、英国で有名なウエストミンスターの鐘の音が明るくてよいのではないかと考え、知人の技術者である加藤一雄(かとう・かずお)に相談します。そして、このチャイムは誕生し、1956年(昭和31年)に大森第四中学校で採用されたのが、国内で最初の学校のチャイムでした。

 

■ 「ノーチャイム制」の理由

 

 こうして「チャイム」は普及するのですが、時代を経て平成時代になると、今度は校時のチャイムを鳴らさない「ノーチャイム制」を取り入れる学校が現れます。これはどういう経緯から始まった取り組みなのでしょうか。

 

 そもそも「チャイム」の由来で述べたように大規模な学校では「チャイム」は便利ですが、幼稚園や小・中学校が併設されている学校や規模の小さな学校では逆に、「チャイム」が頻繁に鳴ることが幼児、児童生徒の活動に混乱を招くこともありました。小学校の校時では45分、中学校の校時では50分に1度チャイムが鳴ります。そのほか、朝学活や給食などさまざまな時刻にもチャイムが鳴るのが学校です。学校が近いと、それが幼稚園からも聞こえ、隣の学校からも聞こえてくるのでは、確かに落ち着きません。

 

 それで、そのような学校では朝の始業チャイムと夕刻の終業チャイムだけを鳴らす学校が現れたり、なかには、まったくチャイムを鳴らさない「ノーチャイム制」の学校が現れたりするようになったのです。

 

 この「ノーチャイム制」は、北欧で行われている教育を取り入れて始まったと言われています。北欧の「ノーチャイム制」は児童生徒自身による時間管理を促し自主性を育成することを目的としています。文部科学省でも平成時代に、小中一貫教育を推進する部会での議論で、小学部と中学部とが同一校舎内にあるいわゆる「義務教育学校」では、校時のチャイムが頻繁に鳴ることで教育活動に混乱を招く恐れがあるとして、「ノーチャイム制」が検討された記録があります。

 

■ チャイム伝播の謎

 

 ここまで学校での「チャイム」普及と変遷との経緯について述べてきました。しかしなお私には、疑問が残ります。それは、どのようにしてこの「チャイム」が日本全国の学校に普及していったのかという「伝播」の経緯への疑問です。常識的に考えれば、まず大田区内の学校に広がり、それが東京都へ、そして全国へと広がっていったと予想されます。しかし、学校の仕組みが「伝播」するにはなにか象徴的な「きっかけ」があるはずで、じわじわと広がったのではなく急速に拡大したのではないか、というのが私の予想です。

 

 かつて私はこのコラムで、学校にプールが設置されるようになったのは、2つの大きな水難事故が直接的な契機になったことを書きました。チャイムについても調べ始めたのですが残念ながら時間と資料が足らず、私には確かめることができませんでした。もしなにか地域での情報をご存じであればお教えいただきたいと思っています。この「学校の歴史巡り」の続編を書く際に紹介をさせていただくことも考えています。

(浩)

 

※ プールが全国の小中学校に設置されるようになった経緯は、下記のコラムを参照ください。

 学校の四季⑨「プール開きと水泳」

  ⇒https://www.gaccom.jp/wp/article/school-shiki-9.html

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