私は医師の斜め前のソファーに座りました。テーブルの花瓶には、彩り華やかなガーベラの花束が飾られていました。医師は、「私は、学生時代にバンドを組んでエレキベースを担当していたことがありました。卒業以来、楽器に触れることはなかったのですが、最近、職場で患者さん向けにミニコンサートを開くことになったとき、久しぶりに楽器を弾きたくなりました。それで、アコースティックギターを練習してみようと思い立ち、この教室に通い始めたのです」と言うと再び、私の目をじっと見ました。
そして、「驚くかもしれませんが、その背中を押してくれたのは、じつは、あなた方なのですよ」と微笑んだのです。私は困惑しました。それまでこの医師と会話をする機会もなかったのに、なにが背中を押したのか、私にはまるで見当がつきませんでした。私は次の言葉を待ちましたが、医師は微笑むばかりでした。私は、話題を変えることにしました。
「あのおばあさんはその後、調子はいかがですか?」「ありがとうございます。調子は変わっていませんが心肺機能がすこし弱ってきていますので、様子を見ながら散歩に出掛けるようにしています」と医師は答えました。そして、「私が音楽から遠ざかることになったそもそもの理由は、これなのです」と言って上着のポケットから長財布を引き出すと、そこからなにかを取り出したのでした。
医師は、それを私の前に差し出して「どうぞ、見てください」と言いました。それは、古いお守り袋でした。刺繍糸はところどころほつれていましたが、そこに縫われた名前はいまでも読み取ることができました。そこには萌黄色の刺繍糸で「サトル」と刺繍されていたのです。私は驚きました。「あなただったのですか。では、患者さんではなかったのですね」
医師は頷きました。「私の母親です」
■ サトルのお守り袋
「私は小学生時代、自分で言うのも変ですが学校でも家でも模範的な優等生でした。両親にとって私は、自慢の息子だったのです。しかし、私は内心では将来、自分がなにをやりたいのかわからずに悩んでいました」
「進学した中学校は部活動や生徒の自主的な文化活動を推奨する自由な校風で、私の心を解放してくれました。私は、音楽好きな級友と一緒にバンドを組むことにしたのです。それは私にとって人生初めての挑戦でした」
「しかし母は、その私の行動を厳しく叱りました。それまでは私の行動を受け止めて応援してくれた母が初めて、『そんなことは不良のすることです』とまで言って許さなかったのです。それが、私と母の間に埋められない確執をつくる契機となりました。私は母に内緒にしてバンド活動を続けました。それだけでなく、ことごとく母に反抗するようになりました」
「母の束縛から逃れるために私は、古里から遠く離れた全寮制の高校に進学し、実家にはほとんど寄り付かなくなっていきました。大学に進学してからはもう私は、実家へ戻る気持ちはありませんでした。やがて研修医として地域医療センターへ配属されることになった時期に、家族から母が若年性認知症を患っていることを知らされました。私は考え悩んだ末、古里の医療センターへの配属を願い出たのです」
「ところがそのころには、母親の病状は予想以上に悪化していて、私を息子だとさえ理解できなくなっていました。それだけでなく、すでに息子は死んだものだと強く思い込んでいたのです。その事実に私は愕然としました。私は研修が終わってからも古里に戻り、自分にできる最新の医学的治療を試みて、これまでの親不孝をすこしでも償おうと努めることにしました。けれども一方で、母への心のわだかまりはなかなか消えてはくれませんでした」
「そんなある日、総合運動公園であなた方と出会ったのです。あのとき母は、『いちばん大切な息子』と言い、『あんなに愛していたのに』と言ってくれた。母のその言葉を聞いて、私はそれまでのわだかまりが消えていくのを感じました。そして、あんなにも母は私のことを思ってくれていたのにと、私はかつての自分の言動を恥じました」
「いま私は心からあなた方に感謝しています。あの母の言葉を、私に聞かせる機会をつくってくれたのですから」
■ 灯し続けた灯り
ギター教室のドアが開いて、レッスンを終えた女子高校生がギターを抱えて出てきました。私は慌てて、医師にお守り袋を渡しました。
「私はときどき、あなたの仕事、教員という仕事が羨ましいと思うことがあります。私たち医者は、患者さんの病気を治療によって恢復させること、身体やこころを元の状態に戻すことが仕事です。しかし、教員の仕事は、子どもの将来の可能性を伸ばしていく、言い換えれば未来を創る力を育てることなのですから。それはやはり、意義のある価値ある仕事だと思います」
医師は、ソファーから立ち上がると傍らのギターケースを持って教室へと歩み始めました。5、6歩進むとふと立ち止まって、私の方を振り返りました。
「そうだ。よければ今度のミニコンサートにあなたも出演しませんか、私と一緒に」
「それは光栄です。それなら私は、クラスの生徒を連れて出て合唱曲を披露しましょう」そう言って互いに笑いながら、私もピアノ教室へと歩き始めました。
私の頭のなかにはまだ、医師の言葉が響いていました。私は、心のなかにポッと灯りがともったような気がしました。それはまるで、二十数年間、この親子が灯し続けてきた灯りであるかのようにも、私には感じられました。
(浩)
※ 「続・学校の四季」シリーズは創作で、登場人物や団体名などは架空のものです。