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続・学校の四季③「四つ葉のクローバー」(下)

■ 地域医療センターの小児病棟

 

 今の時代ならこの少女は、「ヤングケアラー」と呼ばれているのかもしれない。当時の少女の毎日は、それは小学生の日常ではなくて、学校を休んで幼い弟の世話をし、ときには家族の食事をつくり洗濯をし、そして学校へ通ってくる、孤独な「ヤングケアラー」そのものだった。

 

 地域医療センターから救急搬送の連絡があったとき、私が最初に疑ったのは、母親による虐待だった。次に頭をよぎったのは、少女による自傷行為だった。養護教諭に、すぐに地域医療センターへ出向いて母親や医師に会い診断を聞き、本人の容態を確かめてから電話で教えてほしいと頼んだ。私はひたすら、この予感が外れることを祈った。

 

 養護教諭から報告の電話があったとき、幸いにも私の予感は覆されたが、その内容は私の予測を超えたものだった。少女は昨夜、激しい腹痛を訴えて救急搬送されたのち、急性腹膜炎の診断で夜のうちに緊急手術が行われたという。手術は無事終わったのだが、それ以外に看過できない深刻な問題が見つかったというのだ。手術前に行った血液検査で、別の非常にまれな病気が疑われているというのだった。すぐに命にかかわる病気ではないものの長い治療が必要な、なかなか完治しない難病だと医師が言っている、と養護教諭は声を潜めて告げた。

 

 数日後、術後の様子が落ち着いてから、私は、担任と養護教諭とともに少女のお見舞いに地域医療センターを訪れた。可愛らしいキャラクターが描かれた小児病棟にある病室を訪れると、ナースステーションで母親が疲れた表情をして出迎えてくれた。あいさつを終え、養護教諭は母親の肩に手をやり、涙ぐむ母親の話を聴いていた。担任と私は、病室のドアを開け、ベッドの上に起き上がった少女と向かい合った。ピンクの花柄のパジャマを着て、白い犬のぬいぐるみを抱いていた。担任はクラスの友だちから預かったお見舞いの文集や子どもたち手作りの見舞いの品物を少女に渡した。少女はとても喜んだ。

 

「元気そうで安心したよ」

 私は、お見舞いに『モモ』の本を持ってきていた。その本を手渡すと、少女はぱっと明るい表情になり、本を胸に抱きしめた。そしてもう一度、本の表紙をじっと眺めて言った。

「ありがとうございます。まるでモモがお見舞いに来てくれたような気がする」

 

 地域医療センターから戻る車中で、私は、少女はもう、本に挟まれた栞に気づいただろうか、と考えていた。それは私が自作した栞だった。少女からもらった四つ葉のクローバーの押し葉に飾り台紙を付け、片面には少女の名前を、もう片面には「モモのように生きる!」と添え書きをした私のサインを書きパウチをした。栞の上部には、黄色の飾り紐も付けた。

 挟んだ箇所は、「12章 モモ、時間の国につく」だった。

 

■ 入道雲が沸き立った日

 

 少女はその後、この地域医療センターの中にある「院内学級」で入院しながら学ぶことになった。そして退院と同時に、今度は父親の仕事の関係で遠い県の小学校に転校することになった。

 

 真夏の蒸し暑い日の午後だった。

 会議を終えて学校に戻り、水道水で顔を洗いハンカチで拭いていると背後で、担任の声がした。

「校長先生、あの子が母親と一緒にお別れのあいさつに来ていました。校長先生に会えずにとても残念がっていました。今ならまだ、駐車場にいると思います」

 

 私は上履きのまま駐車場に向かって駆け出した。ちょうど、赤色の軽自動車が道路に出ようとしていた。私は思わず両手で大きく手を振ったが、自動車はそれに気づくことなく発進し去っていった。私は坂道をゆっくり下っていく自動車の赤いテールランプの点滅が見えなくなるまで立ち尽くして見送った。

 見上げると、青空にはこの夏初めて見るひときわ大きな入道雲が沸き立っていた。

 それが、少女と私の最後の別れになった。

 

 校長室に戻ると、机上に少女が残していったメッセージカードが置かれていた。

「おみまいにきてくれてありがとうございました」

 

 数週間後、転校先の学校長から在学証明書など関係書類の送付を依頼する文書が届いたとき、その学校の所在地が遠い県の初めて聞く地名だったことが再び、私の心を揺さぶった。私はまるで少女が、モモが住んでいる国の見知らぬ街へ連れ去られたような気持ちになり、寂しさを覚えた。

 

 あれから15年が経った。

 そののち、少女は何年間、病気と闘いつつ孤独なヤングケアラーとして、家庭でその役割を果たしたのだろうか。

 少女はその未来のある時期に、病気を乗り越えて、少女が願った「モモのように人を惹きつける力」をもつことができたのだろうか。それまでの闘病の日々に、あの四つ葉のクローバーの栞は、ほんの僅かであろうとも少女に心を奮い立たせる力を与えることができたのだろうか、と思う。

 

 その答えを、今も私は知らない。

(浩)

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