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続・学校の四季②「四つ葉のクローバー」(中)

■ 教育相談・6月定例会議

 

 あの雨の日の来訪から2週間、少女は校長室を訪れなかった。私も会議や出張が続いて、不在にすることが多かったせいかもしれない。そうしているうちに6月も、月末を迎えようとしていた。

 

 毎月末の金曜日の夕刻、教育相談に係る月例会議が開かれることになっていた。臨床心理士のスクールカウンセラー、養護教諭、関係児童の担任、それ以外には、校長、教頭、教務主任だけが参加する少人数の会議である。教育相談には保護者からの相談も含まれるため、個人情報の管理を厳格にする必要があるからだ。月末のこの会議では、複数の事例が報告される。したがって、それぞれの事例報告に関係する担任や教員が入れ替わって会議に参加する仕組みになっている。この日の会議では、少女の事例検討はいちばん最後に行われることになっていた。

 

 事例検討は通常まず、スクールカウンセラーが直近の児童との面談の内容を解説して、次に、担任や養護教諭からその月の児童とのやり取りや関連する情報を説明し、そのあと今後の対応を協議する順番になっていた。しかし、この少女の事例検討では、スクールカウンセラーはまず、担任から経過報告を聞きたいと言って、手元のノートのページをめくった。自分の聴き取りと食い違いがないか確認したい考えのようだった。

 

「2週前の月曜日に午前中学校に来なかったことがありました。放課後、話を聞くと、朝、弟を保育園に連れて行こうとしたところ、嫌だとぐずって行こうとしないので仕方なく部屋で遊ばせていた、ということでした。その後、昼前に母親が起きてきたので弟の世話を変わって学校に来た、と言っていました」

 

 スクールカウンセラーは続けて質問した。「最近の両親の様子をどのように言っていましたか?」

「父親は遠方の現場へ長期出張していて、今月は週末も含めてほとんど家に戻らなかったようです。母親は体調がよくない日が多い、と言っていました。雨が多いと調子が悪いとも言っていました」

 スクールカウンセラーは、赤い万年筆の動きを止めてパラパラとページを戻し、記録を確かめてから話し始めた。

「母親から相談の予約が入って先週の金曜日に面談をしました。母親は最近、抑うつ状態が続いていてかなり不安定な様子でした。とくに子育てに不安が強くて、話題や質問の大部分が子どものしつけや言動への対処法について、でした。父親の子育ての協力にも話を広げてみましたが、まるで反応がなく支援が得られていないようでした」

 

 私はスクールカウンセラーに、「母親に一度、医者に診てもらったり投薬治療を受けたりすることは助言できないのでしょうか?」と訊ねてみたが、「本人にはこころの病気ではないかという自覚がないので、難しいと思います」と否定的な見解だった。

 担任の教員が、「この子には、母親の気持ちの不安定さはどう映っているのでしょうか?」と、スクールカウンセラーに訊いた。

「母親の言動に精一杯順応していこう、つまり気に入られるように行動しようと努めています。しかし、母親の言動には一貫性がないのですから、それは子どもにとっては難しいことです。理不尽な理由で叱られても、それでも彼女は健気に、できない自分が悪いのだと自分を責めているのです」

 担任と養護教諭は互いに目を合わせた。担任は書きかけのペンを置いて視線を遠くに移した。養護教諭は目を閉じて小さなため息をついた。

 

■ 七夕の日の来訪

 

 梅雨が中休みしたよく晴れた日だった。校舎の渡り廊下の横に数株植えられた紫陽花が赤色、青色に美しく咲いていた。その日の放課後、久しぶりに少女が校長室を訪れた。

「おじゃましてもいいですか?」

 私は、笑顔で「もちろん」と言い招き入れた。少女は、あの蝶柄が描かれた黄色いワンピースを着ていた。けれども今日は、襟や袖口は清潔できちんと洗濯されていた。私は少し、ほっとした気持ちになった。

「久しぶりだね」

「この前、ドアの前を通ったのですが、『外出しています』の札がかかっていました」

「先月は会議や出張が多かったからね」

 

 少女の手元を見ると、キャラクターの絵柄の小さなメモ帳と学校の図書室のラベルのついた本を1冊持っていた。ミヒャエル・エンデの『モモ』だった。『モモ』は、円形劇場あとの舞台下の小部屋に住み着いた浮浪児モモが、時間どろぼうから時間の花を取り戻そうとする不思議な物語である。

 

「その本は、もう読んだの?」

「まだ、3分の1くらいです」

「はじまりの場面で、わたしは心をわしづかみにされました。モモのようにわたしはなりたいと思いました。モモには友だちがいっぱい集まってきます。人を惹きつける力がすごいです。モモに話を聞いてもらうとまわりの人はなぜだか幸せになるのです。私も人を惹きつける力をもちたいです」

 少女はこれまでになく雄弁にモモの素晴らしさを語った。私は嬉しくなって暫くの間、その話に聞き入った。

 

 やがて少女はキャラクター柄のメモ帳の間に挟まった何かを取り出して、私に見せた。

「校長先生にプレゼントを持ってきました。この前の日曜日に総合運動公園へ遊びに行ったとき見つけたのです」

 キャラクター柄のメモ帳から取り出したのは、四つ葉のクローバーの押し葉だった。

「四つ葉がよく見つかる秘密の場所があるのです」と言って、少女はにっこり笑った。本当に久しぶりに見る少女の笑顔だった。

 

 私は「ありがとう」と礼を言い、「珍しい大事なものなのに貰っていいのかな?」と訊いた。少女は「プレゼントするために摘んできた」と言い「ほかにあげる人はいない」とも言った。

 私は「大事にするよ」と言って、ノートのページの間にゆっくりと押し葉を挟んだ。

 

 それから数日後の朝のことだった。

 校内を見回っていた私が、一年生の教室廊下に飾られている七夕飾りの前で、短冊に書かれた願いごとを読んでいたときのことだった。向こうから養護教諭が血相を変えて私に近づいてきて、小声で言った。

 

「校長先生、大変です!今、医療センターから連絡がありました。昨夜、あの子が救急搬送されたそうです」(続く)

(浩)

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