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学校の四季⑥「11月5日 津波防災の日」

「津波防災の日」と「世界津波の日」

 

 

和歌山県広川町にある「広村堤防」(国指定史跡)の階段を登り堤の上に立った。空は曇っていたが海は静かだった。高さ5mの堤防が600mにわたって続いていて堤の上には散歩道が整備されていた。この堤防が完成したのは安政5年(1858年)12月である。

 

安政元年(1854年)11月5日にM8.4の大地震が起こった。後に言う「安政南海地震」である。大津波が襲ったとき、広川町の実業家濱口梧陵(ごりょう)は、稲むらに火をつけて暗闇の中逃げ遅れた人々を高台に誘導し命を救った。その逸話『稲むらの火』にちなんだのが「津波防災の日」である。東日本大震災が起きた後、平成23年(2011年)6月「津波対策の推進に関する法律」により制定された。

 

濱口梧陵は大津波の後、私財を投じて大防波堤の土木工事を始め、3年10ヵ月をかけて「広村堤防」を完成させた。

現在、この堤防のすぐ近くには「稲むらの火の館」があり、濱口梧陵記念館と津波防災教育センターが併設されている。

 

因みに、11月5日は「世界津波の日」でもある。平成27年(2015年)に国連総会第二委員会は、11月5日を国連の共通記念日「世界津波の日」とすることを全会一致で採択した。日本が主導し142ヵ国が共同提案国となったのだった。

 

学校における防災・減災事業

東日本大震災が起こる数年前、私は、阪神・淡路大震災で被災し再建された兵庫県神戸市内の小学校を視察訪問したことがある。

 

3階建て校舎は、屋上にステンレス製のプールが設置されていた。災害時にトイレの水や生活用水として再利用するためだという。飲用水は校舎の地下に備蓄されていて、水の鮮度を保つため循環装置が稼働していた。地域住民数千人が1週間生活できる容量だそうだ。また発電は、太陽光発電を利用しており、仮に小学校の発電設備が被害を受け使えなくなっても、隣の中学校から送電できるよう電気の相互供給が可能な仕様になっていた。

 

その設備や施設は瞠目すべきものではあったが、私の心にいちばん響いたのは、その学校の管理職が言った次のような言葉だった。

「私たちは今回の大震災が起こるまで、ほとんど備えができていませんでした。この施設は、50年後100年後の大震災に備えて造ったものです。まだ大震災に遭われていない皆さんこそが、早急に減災の備えをすべきだと思います」

 

私は、自分が勤めている自治体や学校がこのような施設を造れるほどの予算を獲得できるとは思えなかった。それで私は、自校の「防災・減災教育」を推進するにあたって、大きな予算を要する事業に頼らず、できるだけ費用がかからず実施効果の高い事業を行うことに腐心した。

 

その1つを紹介すると、「備蓄水を新入生に贈呈するPTA事業」がある。これは、入学間もない新1年生にPTAが、「5年間保存備蓄水」(2ℓペットボトル)を1人あたり2本贈呈するという事業であった。

私の頭の中には、神戸市で見学した地下備蓄水設備があった。それをペットボトル水で代替し毎年備蓄量を増やしていく計画である。

そのとき私が考えたキャッチフレーズは、大袈裟だが『学校に防災のダムを築く』というものであった。

                               

(浩)

 

【下写真:「稲むらの火の館」玄関】

 

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