» コラム

学校の四季④「アメリカから来た少女」

もう十数年前のことである。

 

紀伊半島の南部の海岸沿いにある小さな港町に三角小学校があった。

丘の上に建つ校舎からは眼下に太平洋を眺望できた。濃い藍色をした黒潮は鮪や鰹を始め多くの魚を運び、町に海の幸をもたらした。その海流を水平線の遠く遙か彼方まで辿るならば、それはアメリカ大陸まで続いていた。

 

ある夏の初め、そのアメリカ合衆国から1人の少女がこの小学校にやって来た。

父親に連れられた少女は大きな麦わら帽子を被っていた。輝くブロンドの髪を背中まで伸ばし、肌は透き通るように白く、瞳は太平洋のように濃い碧色をしていた。

彼女の名前は「ミスミ」といった。

そう、この小学校と同じ名前、この町と同じ名前だった。

 

 

父親は、「夏休みが始まるまで少しの間、この学校で娘に授業を受けさせてほしい」と希望した。ところが、少女は日本語を殆ど喋れなかったので、授業を理解することは難しいと思われた。

それで、校長も教員も申し出は断ろうと考えていた。しかし、父親の話を聴くうちに気持ちが変わり承諾することにした。それはこんな話だった。

 

「私の父は日本人で、この町で育ちました。漁業をしていた父の家はとても貧しく、ある年一家でアメリカに移民することになりました。父の家だけでなくこの町の多くの家族がアメリカに移民したのです。そういう時代でした。父の家族は皆、アメリカでの豊かな生活を夢見ていました。しかし現実には、異国の地で家族は長い間言葉に尽くせない苦労を重ねたそうです。父は兄弟とともによく働き、作物が育たない荒地を農地に切り開いて、ついには小さな農園を経営するまでになりました。やがて、アメリカ人の母と出会い結婚し、私が生まれたのです。

 

私は今、カリフォルニア州の大学で教授をしています。父はもう亡くなりましたが、私は、自分の子どもが生まれたらいつか私の父親が生まれ育った日本のこの町に連れて行きたいと思っていました。

今年ようやくその夢が叶いました。残念なことに、父が育った生家はもう残っていませんでしたが、遠い親戚の方々が温かく迎えてくれました。その1人のお宅に滞在して娘を学校に通わせるつもりです。もちろん通訳も兼ねて私も一緒に授業を受 けます」

 

校長も教員もこの話に心を打たれた。それで、少女を1学期の終業日まで預かることにした。

 

少女は、30名に満たない全校児童とすぐに仲良しになった。遊びではとくに魚釣りと水泳を好んだ。放課後には友だちを連れて海岸まで坂道を一目散に下りていった。そして、時間を忘れて遊んだ。初めは白かった少女の肌は日焼けしてやがて褐色になった。

 

帰国が近づいたとき、父親は校長と教員に感謝の言葉を告げ、こんな感想を言った。

「私は日本の公教育は素晴らしいと思います。こんな田舎の小さな町の学校にも、体育館がありコンピュータ教室がありプールがある。アメリカでは、お金を払えば立派な施設が整った私立の学校に入れることはできますが、公立学校はこのように きちんと整備されていません。父が育った日本の現在の姿を、私は誇らしく思います」

 

少女は教室に手紙を残して、まるでかぐや姫のようにアメリカへ帰って行った。

 

「さようなら いつか また きます」

 

(浩)

 

※この話は、実話を素材にしたフィクションで、学校名と人名は架空のものです。

スポンサードリンク