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学校の四季㉒「『読書はなまるデー』顛末記」(下)

 

 

 ■ PTA文化部定例会議

 

 「校長先生。少し時間をいただけますか?」

 夏休み前のPTA文化部の定例会議を終えた直後に文化部長が校長室を訪れた。副部長も一緒だった。

 私は着席を促しながら、(「読書はなまるデー」のことだな)と推測した。6月23日に試行日を実施し、回収した保護者や児童の意見や感想は報告文書にまとめて文化部に送付していた。意見は概ね好意的な内容だったので、私はそのことについてなのだろうと思った。ところが文化部長の話は意外な内容だった。

 

 出されたお茶をひと口飲んでから文化部長が切り出した。

 「じつは『読書はなまるデー』のことなのですが」と言って少し間を開けた。

 「いま終えた会議で本格実施に否定的な意見が出たのです」

 私は耳を疑った。副部長の表情も見ると視線を床に落としこわばっていた。

 「意外な話ですね。で、それはどんな理由からなのですか?」

 「いちばん多かった意見は、なぜこのような日を設ける必要があるのかわからないというものです」「家庭生活の実態はそれぞれの家庭でいろいろ違いがあるし、そもそも設定されているコースの課題のレベルが低すぎるのではないか、と言うのです」

 副部長が続けた。「もうひとつの意見は、中学校との連携ができていないのではないかというものです。この読書の日に中学生の兄弟姉妹と喧嘩になった家庭があるというのです。テレビを観ようとする中学生とテレビのスイッチをつけさせまいとする小学生が喧嘩になって親はほとほと困ったという話が出ました」

 「このような取り組みは、まず学校が中学校ときちんと相談してから一緒に取り組むべきだと言っています」

 

 校長室の雰囲気は一気に冷たいものになった。私はコース設定の経緯を丁寧に説明し「読書の日」が定着してくれば当然、課題設定のレベルも見直すことになると話した。

 しかし、副部長が畳みかけた。

 「気を悪くされないでほしいのですが」「校長先生のパフォーマンスじゃないのかと言う人さえいるそうです。もちろん文化部員ではありませんが」

 私は冷めかけたお茶を飲んだ。苦い味がした。「で、お二人のお考えはどうなのですか?」と私は訊いた。

 文化部長が答えた。

 「本部役員会で再度話し合ってみてはどうでしょうか」

 「私は教育委員会に意見を聞いたらどうかと思っています」と、副部長が付け加えた。

 

 ■ PTA本部役員会臨時会議

 

 その後、この問題は本部役員会で議論することになった。私は役員会までに、問題の背景を探ってみることにした。ことの展開があまりにも意外だったからである。探っているうちにわかってきたのは、本校の「校区」に起因する特有の問題だった。

 

 一般的に公立小学校の校区は、ひとつの公立中学校に進学するよう区割りがされている。ところが本校は開校後、宅地開発が進み大規模マンションができたこともあって校区の見直しがされた。結果としてふたつの公立中学校に進学するようになったのである。その進学先のひとつであるA中学校は従前から学期に一回「読書週間」を実施しており、その取り組みは地域でもよく知られていた。今回の反対意見はもうひとつのB中学校に進学する校区の保護者から出たものだというのだ。その意見を代弁したのが、文化部の副部長だったのである。

 

 私はまずB中学校を訪れ校長と話し合いをした。「読書の日」の小学校の取り組みを説明して中学校の協力をお願いした。中学校の校長は生徒への周知など学校としての協力を快く約束してくれた。また、A中学校にも同様の依頼をしてこちらも快諾を得た。

 

 後日、開かれたPTA本部役員会では、「読書の日」の実施は家庭の大方の賛同を得ており、文化部での意見はごく一部の意見の反映であることがわかった。くだんの副部長も事前に、B中学校から生徒への周知があったとの情報が入っていたようで、もう強硬な意見は言わなかった。

 最終的に本部役員会の了承を得て、「読書の日」は本格実施されることが決まった。

 

 ■ 「読書はなまるデー」の将来

 

 天高く実り豊かな9月。予定どおり9月23日に第1回の「読書はなまるデー」が始まった。これから毎月23日には「読書はなまるデー」が実施されることになる。この「読書の日」が何年続くかは、本校の教職員と保護者がどのように意欲的に取り組みそこにどのような価値を見出すかにかかっている。続ける価値があるのか、手間をかける意義が見出せるのか、不断の検証が求められるのだ。

 

 私には確かな期待があった。しかし、楽観してはいけない。どんなによい取り組みだからといってそれが長く続くかどうかは別問題である。優れた取り組みだから長く続くだろうと思うのは幻想にすぎない。そんな保証はどこにもない。取り組みが残るには時代がそれを求めているか、次の時代に受け入れられるかどうかがポイントだ、と私は思っている。優れた取り組みであるにもかかわらず短期間で途絶えた取り組みは、学校にはたくさんあるからだ。

 

 読書は人間にとって普遍的な学習方法である。しかし、将来にわたって「読書はなまるデー」が受け入れられるかどうか、それは誰にもわからない。

(浩)

 

※ 本稿は実際にあった出来事を素材にしたフィクションです。

 

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