» コラム

先人が語る教育の智恵と本質①「Made in Japan」

社内で若い技術者が対話している話し声が私の席まで届いてきた。何気なく聞いていると○○国の部品や製品は精度が低く信頼できないという内容だった。

「だから『Made in○○』は当てにならない」と話をまとめる言葉が響いた。

私はその言葉を聞いて、頭の中に幼かったころのある思い出が甦った。

 

それは祭りの縁日だった。神社の参詣道の両側にずらりと並んだ露店で、私はくじを引いた。当たれば屋台の上に飾られたおもちゃがもらえるくじだった。1等は高価なアメリカ製の玩具だった。私が引いたくじは確か4等か5等でセルロイド製のおもちゃが当たった。

「あ~あ、Made in Japanかぁ!」と周りの友だちが嘆いた。

「Made in Japan」それは当時、「安かろう、悪かろう」という粗悪品の代名詞だと言われていた。そして、その評価は子どもにも行き渡っていた。今から50年程前のことである。

 

私は思わず若い技術者に声をかけた。

「君らは知らないだろうけれど、50年前にはMade in○○と同じ評価をMade in Japanが受けていた。日本製品は安くてすぐに壊れる粗悪品の代名詞だった」

2人は「聞いたことがあります」と頷いた。

「ところが今やMade in Japanは高性能・高品質で世界最高水準の製品の代名詞になっている。だからMade in○○も50年後にはそうなっているかも知れないぞ」

「それはないと思います」と2人は苦笑いした。

 

 

私はこの50年間の日本人の努力と奮闘を思った。敗戦後の焦土と化した各地から、日本の再建をめざす人々は育っていった。

ソニーの創業者のひとりである盛田昭夫は、1953年にヨーロッパを旅行しオランダを訪問した。小さな農業国のオランダで高度な技術で世界的な大企業となったフィリップス社を見学して、盛田は感激した。それが契機となり、のちに盛田は日本でしか通用しない『東京通信工業』という社名を世界でも通用するよう『SONY』に変えたのである。

 

そのソニーは1962年、ニューヨークの中心地マンハッタン5番街にショールームをオープンさせている。もちろんこの中心地にオフィスを構えるのは日本の会社で初めてのことだった。店頭には盛田の発案で、アメリカの星条旗と日本の日の丸の旗が掲げられた。

当時ニューヨークに駐在していた日本の各社の営業マンたちは、マンハッタン5番街に高々と掲げられた日の丸の旗を見て涙を流して勇気を奮い起こしたという。

 

「Made in Japan」が現在のような評価を得るようになるには、その時代その時代に生きた日本人の並々ならぬ努力と誠実さが製品の一つひとつに刻まれていたはずだ。それなくして、今日世界最高水準を争う工業製品を多分野にわたって生産できる国になるはずがない。

 

新春の2017年1月5日に『HONDA』が、世界初となる「Riding Assist-self-balancing」搭載の自立走行するバイクを公開した。その『HONDA』のCI(Corporate Identity)は「The Power of Dreams 」である。

私たちもまた、同じこの時代を生きる大人の責任として子どもたちに夢を実現しようとするひたむきな努力について語る必要があるだろう。

(浩)

スポンサードリンク