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先人が語る教育の智恵と本質⑦「体験から学ぶ」

■ 京都の路地のカフェで

 

 

 今年の夏、小旅行で京都を訪れた。

駅前で乗ったタクシーの運転手から、訪日観光客のマナーが悪いとさんざん愚痴を聞いたので、せっかくの旅行の高揚感も薄れてしまった。

 

 八坂神社から高台寺を巡り、歩き疲れて少し休もうとカフェに入った。店内では年配の女性店主と常連客らしい夫婦が談笑していた。私はフレッシュジュースを注文し、ハンカチで汗を拭いた。暫くして常連客はいなくなり、カウンター越しに店主が私に声をかけた。

「観光旅行ですか?」

 私はそうですと答え、やがて会話は最近の訪日観光客の話題になった。

「京都はもともと欧米の観光客が多い場所でしたが、最近はアジアの観光客が激増しています」

 私はタクシーの運転手の話を思い出した。

「マナーが悪くて困っていませんか?」

「そうですね」と言って彼女はこんな話を始めた。

 

 店のトイレを汚されて困った時期がありました。トイレットペーパーを流さずに床に積み上げていくのには閉口しました。通訳ガイドさんに聞くと、アジアの多くの国ではトイレットペーパーの品質が悪くトイレがよく詰まるから流さないのが習慣なのだということを知りました。そこで私は、ガイドさんに協力してもらい3か国語で「日本のトイレットペーパーは流しても詰まらないから流してください」と注意書きを作りトイレの中に貼ったのです。それからはトイレが汚れることはなくなりました。

 

 食べ残しやごみをわざと床に捨てる(その国ではそういう習慣だそうです)観光客もいたので、ガイドさんに事前に団体バスの中で日本では食べ残しやごみはテーブルの上に置いておくのがマナーだと説明してもらうことにしました。

 このマナーも個人客以外は今ではほとんど守られるようになりました。

 

 なるほどと私は感心した。訪日観光客のマナーの苦情をまた聞くことになるのだろうと予想していた私は、胸の中が少し明るくなった。私はタクシーの運転手から聞いた話をして、「彼の気持ちもよくわかるが貴女の考え方や工夫は素晴らしいと思う」と褒めた。

 すると彼女は、「若いときの体験があるからそう思えるのです」とその体験談を聞かせてくれた。

 

■ カーネギーホールでの出来事

 

 私が初めて海外旅行をしたのは学生時代で、行先はニューヨークでした。憧れのカーネギーホールでジャズコンサートを鑑賞するために友人たちと出掛けたのです。その旅行で私は、2つ驚き学んだことがあります。それは私にとっては衝撃的な出来事でした。

 

 ひとつは、コンサートのチケット売り場に並んだときのことです。窓口はいくつもあるのに、誘導順路はひとつしかなく長蛇の列ができていたのです。当時日本では、ひとつの窓口にひとつの誘導順路があるのが一般的だったので、どうしてこんな並べ方をするのだろうと最初は思いました。

 やがて私は、並んだ順番どおり整然と窓口に進む人々の様子をみて納得しました。日本では、隣の窓口は次々進むのに自分の窓口では前の人が長々とやり取りを続けてなかなか進まないということがよくあり、不満に思ったことがあったからです。

 今でこそ銀行のATMでも、みどりの窓口でも、一列に誘導順路がつくられているのが普通ですが、日本で誘導方法がそう変わるには随分時間がかかったと、私は思います。

 

 もうひとつは、コンサートの途中休憩のときのことでした。前列の席に座っていた大柄な紳士がトイレにでも行くのでしょうか立ち上がり、右側の席の人に「Sorry!」と声をかけたのです。すると右側に座っていた人が次々と立ち上がって彼を送り出し、この紳士はあっという間に通路にでることができました。私はその手際よさに思わず「すごい!」と叫んでいました。日本のコンサートホールではどうでしょう。立ち上がって通路を譲る人はまれで、座ったまま体を横に向ける人がいたり、足元に荷物が置いてあったりと、なかなか通路にでるまでが大変です。このマナーは現代の日本でもまだ実現できていません。

ひとつのマナーや習慣が定着するようになるにはそれ相応の手間と時間がかかるのだと思います。

 

 彼女の体験談を聞いて、今度は私が自分の考え方を変えることになった。ものの見方・考え方を変えれば、同じ物事が違って見え、工夫もできるようになる。私は彼女との対話からそのことを学んだ。

 店内から路地にでると聞き慣れない外国語が飛び交っていた。照りつける夏の日差しはとりわけ厳しかったが、私の胸の中には旅行の高揚感がふたたび湧きあがっていた。

(浩)

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