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元・公立学校の養護教諭 妖怪先生のつれづれ話⑦中学校編「忘れられない思い出 問題行動を繰り返す男子生徒との不思議(?)な交流」

新しい生徒の転入による出会い、そして緊張の連続

前述しましたように、毎日が新しい経験となった中学校勤務ですが、中でもN君(当時中学1年生)の転入は、校内を驚かせ、私の仕事のリズムを変えました。

 

このN君、とにかくその略歴がすごいのです。

小学校高学年から、家出、暴力行為、恐喝、薬物乱用等何でもあり…とにかく大変な話題性のある生徒でした。

 

ですから、私達教職員の間に、何とも言えない緊張感が幾度も走ったのをよく覚えています。

 

さて、このN君は、転入した初日から教室にはいませんでした。毎日、所在なくふらふらと校舎内をうろつくことが彼の日課でした。

 

生徒指導の教師(N君の担任でもある)が、彼の行動を監視しながら注意をしていましたが、さながら馬耳東風です。今後も彼の問題行動は続くと思われたため、私を含めたチームを作り、彼の行動把握を始めました。

 

彼の家庭環境は大変悲惨なもので、父親の自由奔放な生活と子どもに対する虐待が日常的に行われていたとのことで、今思えばそのような家庭にいたたまれなくなり、反社会的行動に走った可能性も考えられます。

 

そんな情報を確認しながら、支援体制を考えていたところ、ついに危惧していたことがおこりました。

なんどN君は弟分である他の生徒を従えて、授業をボイコットするようになったのです。

生徒の多くは彼を恐れ、彼にかかわりを持たないように行動をしていましたが、中には彼に感化される生徒も出てきたのです。

 

幸いにも器物の破損や暴力行為には至りませんでしたが、毎日が緊張の連続でした。

 

 

N君との交流、そして彼との正面からのぶつかり合い

そんなある日、N君が私の保健室に来たのです。

私はびっくりしましたが、心の動揺を見透かされないように、冷静を保って彼を迎えました。

彼には時間はたくさんありますので(私には仕事が山積みで時間が足りないのに…)よもやま話が始まりました。

私は観念し、他の仕事をあきらめて、徹底的に彼に付き合う決心をしました。

 

そうしたら…彼の武勇伝が出るわ出るわ、私は驚きながらも、彼の話がとても面白く耳を傾けました。

そして、2時間くらいたったでしょうか。

彼は満足したのか、教室に戻っていきました。

 

彼が去った後に思ったことは、彼の話から「家族恋しい」「心寂しい」思いを強く感じたことです。

 

この日を境に、彼は毎日足しげく保健室に通うようになりました。そして、2時間ほど楽し気に話をして、教室へ行くことが繰り返されました。

このことで、彼の心が落ち着いていくのが感じられ、私はとてもうれしくなり、ますます彼の心をつかもうと躍起になっていったのです。

 

しかし、ある日、私は、些細な事で彼と大喧嘩をしてしまいました。

いえ、些細な事ではなかったと思います。

私は、彼との関係がしっかり出来上がったと勘違いして、彼が触れてほしくない琴線に触れてしまったのです。

爆発した彼は、「帰る!」といって学校を飛び出しました。焦った私は、彼を追いかけ、学校の隣の路上で彼を止めました。

しかし、彼は頑として帰ると言い張ります。

私は、何度も説得し、謝りましたが聞き入れてもらえません。道路上で「帰る」「帰さない」の押し問答がしばらく続きました。

 

そこで、ホトホト困った私は、強硬手段にでました。

私は、彼の胸ぐらをつかみ、顔を近づけて「絶対返さない。保健室で話しましょう」と言って彼を引きずろうとしました。

もちろん、彼も必死で抵抗しました。

私の胸ぐらをつかみ、今にも殴りかかる行動をしようとしました。

こうなったら、後には引けません。

思いっきり引っ張りました。

そうしたら…あれ?軽々と引きずることができたのです。

意外でした。

触ってみると、彼の体は、(おそらくシンナーの影響でしょうか)かなりやせていて、筋力が感じられなかったのです。

学校にもどると、保健室に彼を入れて、暖かい飲み物を与えました。

そのためか?彼の興奮は落ち着き、何事もなかったように「よもやま話」を始めました。

 

その日を境に、彼の行動は変わりました。

なんと、私が担当している卓球部に入部してきたのです。

授業もボイコットしていた彼が部活に入部するなんてすごい変化です。

私は、「このチャンスを逃すべからず」と思い、さっそく彼の特訓を始めました。

彼の頑張りは、大会出場につながり、彼にとってよい経験だったと思います。

(もっとも、大会中、私は彼の行動監視で監督業はそっちのけでしたが…)

 

その後の彼は…

その後、彼は、3年生になる直前に「家庭に大変重い問題がある」ことで、児童自立支援施設にはいりました。

そこでの生活は大変落ち着いたものだったようです。

 

その頃は、毎年中学3年生の秋に「市内中学校マラソン大会」がありました。

本校の生徒が参加するため、私は応援の準備をしていたところ、N君がそこに出場する情報を得ました。

私は、彼に会いたくて、当日会場中を探しました。

そして、やっと見つけました。

大勢の参加者の集団の最後の方で、苦しく息をしながら全身にびっしょりと汗をかいて走っていたのです。

 

彼の体はシンナーの影響が出ており、体力的に心配でしたが、彼が頑張っている姿に感動して、私の声は怒鳴り声のように大きくなっていました。

でも、私の声援は聞こえないようです。

ただ、チラッと私をみてくれましたが…。

 

こんなに、頑張っている彼の姿を目の当たりにして、最後には応援する声はかれ、涙がとまりませんでした。

そして、この大会が最後でした。彼の姿を見たのは。

 

その後、彼は無事支援施設の子ども達が通っている中学校を卒業したそうです。

かぜのうわさでは、その後、仕事を見つけて働いているとも、反社会的団体に入り、大きなトラブルに巻き込まれたという話も…。

 

今でも近所の中学生とあいさつなどをすると、ふっとN君の顔が浮かぶことがあります。

 

彼は、私に「心と心のぶつかり合いの大切さ」を教えてくれた私の最初の「教師」でした。

(元保健室の妖怪先生)

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