» コラム

元・公立学校の養護教諭 妖怪先生のつれづれ話⑥中学校編 「妖怪先生、部活動に打ち込む」

怒涛(?)中学校生活の始まり!部活動の指導

養護教諭としての保健室経営は、小学校とはまったく違い、一からのスタートでした。しかし、もう一つの大きな仕事が与えられました。

 

それが、「部活動指導」です。

 

部活指導の話が出たときは、

 

「やったー!」

 

と心の中で叫びました。

 

私は一度、部活動指導をやってみたかったのです。

 

私は、バスケットをやってきましたので、ぜひそれを希望したのですが、なんと残念なのことにバスケ部がなかったのです。

 

「悪いね。その代わりに卓球部を持ってくれないか?」

 

……さあ大変です!卓球なんてほとんど経験のない私です。また、この学校の卓球部、男女ともにあるのですが、部員数が60名近くと多く、男子は県大会出場レベル、その反対に女子は弱小チームといった開きがあり、生徒指導もなかなか大変だという事です。

 

私は、あわてて、卓球セットを購入して、生徒たちと練習を始めました。

 

また、審判講習会や指導者講習会等手あたり次第に参加して、一から勉強を始めました。生徒たちに指導できる熱い監督になりたい一心で……

 

そのおかげで、なんとか指導法も身に着けることができましたが、部活動自体の流れが分かりませんでしたので、前任者のやり方を踏襲しましたら、なんと、ひと月に1日の日曜日以外は休日なし。平日は、朝6時半から朝練、土日は、練習か練習試合とスケジュールびっしりだったのです。

 

でも、そこは若さがありました。毎日が、目新し体験ばかりでしたのですぐに慣れ、しばらくすると生徒以上に気合が入っていったのです。私の心の中には、「男子は、毎回県大会出場を、女子は、地区予選で3位以内にはいる事」が目標にあったのです。

 

妖怪先生の暴走!そして生徒たちとの対立

そして、この目標が決まった瞬間に、私の生活が変わり始めました。

 

まずは生徒たちの個々の性格の把握です。男子は40名程度、女子は20名程度で総勢60名の部員数でしたが、生徒たちは個性的な子たちばかりで、それぞれの性格を飲み込むのに時間がかかりました。

 

ましてや、みんな中学生なので思春期真っ只中です。中には不安定な子もいたため、私はできるだけ一人ひとりと交流をして、その子にあった指導をする努力をすることに決めました。

 

しかしそんなある日、私と部員たちに「大きな対立」が発生してしまいました。それは、担当して、半年が過ぎてからでした。

 

まず、練習方法と時間の取り方に反発してきたのです。実は、その頃から、あまりの休みのなさに、私自身が疲弊していたのです。休む日を定期的に確保するために立てた計画は、特に成績を残している男子部員たちにはにことごとく反対されたのです。

 

「先生の計画じゃ勝てない」「このやり方は生ぬるい」

 

と訴えてきました。

 

そして、彼らの反発は、行動に現れ、私を無視するようになったのです。

 

私は、内心怒りに燃えていましたが、しばらく我慢していました。しかし、男子キャプテンの「前の先生はもっと見てくれた」という一言で、ついに私の堪忍袋の緒が切れてしまったのです。

 

「こうなったら話し合いをするしかない!」

 

私はキャプテンと副キャプテンを呼び出し、徹底的に話し合いをしました。それは、私の願いと彼らの思いがぶつかり合うもので、まさに闘いそのものでした。

 

しかし、それを繰り返したおかげでしょうか?時間はかかりましたが、私と生徒の間で折り合いを付けられる妥協点を見出すことができたのです。

 

そのとき私は、

 

「生徒にぶつかってよかった」と心底思いました。

 

それからは、生徒たちは何かというと私に相談してくれるようになり、生徒との距離が縮まり、卓球部の活動がより盛り上がっていったのです。

 

こうなれば、しめたものです。

 

生徒たちは、私のかなり手厳しい指導に素直に耐えてくれるようになりました。

 

だらけた練習をしているなど、もちろん許しませんでした。強制的に卓球台をたたんだりするなど、今振り返ると、私自身も驚くほどかなり無茶苦茶な事をやっていたのです。

 

もっとも、そのおかげ(?)でしょうか、男子は毎回県大会出場のレベルを維持し、さらに女子は地区予選で、初めて2位や3位になることができました。(自画自賛かしら……?)

 

特に、女子が初めて地区3位になった時は、女子部員が全員大泣き……この感動は今でも忘れられません。

(元保健室の妖怪先生)

スポンサードリンク