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学校の四季⑦「参観日の出会い」

学校には、忘れられない出会いがあり、忘れがたい別れがある。

 

私がその母親に出会ったのは、春の全校参観日のことだった。

その年私は、その小学校に校長として転任したばかりで、この日多くの保護者と初めて出会うことを楽しみにし、また少し緊張もしていた。

 

参観授業が始まり各教室の様子を見に行くために、校舎西側にある昇降口に近づいたときのことだった。私は、ちょうど階段を上り始めたひとりの母親に気がついた。右手で松葉杖をつき左手は壁に触れて身体を支えていた。

この母親にはひとりの女性が付き添い、腰に手を添えて介助していた。

 

私は「大丈夫ですか」と声をかけた。

母親は笑顔で「校長先生。ありがとうございます。末の息子がお世話になっています」と答えた。その笑顔を見たとき、私はかつてどこかで出会ったような感覚に捉えられた。学校の保護者なのだから校区のどこかで見かけたのか、地域の会議で出会ったのかと、私は記憶を手繰り寄せたが思い出すことはできなかった。

 

介助をしている女性が「今、病気の療養中で歩くのが不自由なのです」と後を続けて話した。私は母親に「車椅子の用意をしましょうか」と訊くと、「いいえ大丈夫です。息子の教室は2階の階段のすぐ隣ですから」と答えた。

 

私はすべての教室の授業参観の様子を見終わったあと、再び2階のその教室へと向かった。あの母親の様子が気になったのだ。母親は教室の後ろで折りたたみ椅子に座ってにこやかに息子が勉強する姿を見守っていた。

 

その笑顔を見た瞬間、私は30年前の教室にタイムスリップをして教壇に立っていた。彼女が誰なのかを思い出したのだった。

私は校長室に戻ると、保護者名簿をめくりこの母親の名前を確かめた。間違いなく、私が青年教師だった頃の教え子だった。30年ぶりの再会だった。

 

 

それから数ヶ月が過ぎた。

学年参観日を前に私は、ある担任から相談を受けた。保護者の父親から、入院中の母親がどうしても病院から直接授業参観に行きたいと言うので学校に車椅子を用意してもらうことはできないだろうか、と打診があったというのだ。

 

私の頭の中にあの母親の姿が浮かんだ。

主治医の外出許可がでていること、病院から学校までの往復はタクシーに乗車することを確認して、私は、「車椅子の用意はもちろん階段の上り下りは学校の職員が介助しますから安心しておいでください」と父親に伝えるように、担任に指示した。

 

当日母親は、前よりも瘦せた体つきをしていたが笑顔で来校した。息子の同級生の保護者でPTA役員の方々が車の乗り降りの手助けをしてくださり、階段の昇降は学校の男性職員が担当した。短時間で参観を切り上げて病院に戻るとき母親は、手助けをしてくださった方々に何度もお礼を言い深々と頭を下げていた。

私はタクシーを見送りながら、教室で笑顔を浮かべて息子を見つめていた母親の姿を思い出していた。

 

それは、忘れられない笑顔になった。

それが、私がその教え子の笑顔を見た最後になったからだ。

その秋、彼女は3人の子どもを残し若くしてこの世を去った。

(浩)

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