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学校の四季⑪「音楽の響く学校」

■ 体育館でのオーケストラ公演

 

 学校に『神奈川フィルハーモニー管弦楽団』がやってきたのは、ちょうど体育館が耐震改修工事に入る前年だった。公立小学校にオーケストラがやってくる機会はほとんどない。この年オーケストラが来校したのは文化庁の事業のおかげだった。

 

 文化庁には学校向けに行う事業がある。年度によって名称や内容は変わるが、当時この事業は「次代を担う子どもの文化芸術体験事業」という名称で行われていた。

 これは文化芸術団体が学校の体育館などで公演を行ったり、数名の芸術家が学校に来て児童生徒に話をしたり、実演や実技指導を行ったりする事業である。

 

 このオーケストラ公演が素晴らしかったのは、ただ体育館で演奏するだけではなく、事前に演奏家の代表が来校するところにあった。

 公演の1か月程前に事前指導に訪れたのは、楽団の指揮者の宮松重紀さんと数名の演奏家だった。

宮松さんは4年生を体育館に集めると、音楽の教科書に載っている楽曲『ペルシャの市場にて』をリコーダーで吹かせた。その後同行した演奏家の周りにパートごとに児童を集合させてこの曲をどう演奏するのか練習をさせた。

最後に全員を集めて、当日オーケストラと共演するから学校の代表としてコンサートまでしっかり練習しておくように話した。

この訪問指導のおかげで本番のコンサートでは、4年生は聴衆になりつつ演奏者にもなって楽団との一体感を強く感じていた。

 

コンサート当日には別のサプライズもあった。楽団のホルン奏者でもある大橋晃一さんが、本校の校歌を編曲しオーケストラが演奏してくれたのだ。

宮松さんが「これから演奏する曲が何の曲か分かった人は手を挙げてください」と言うなり指揮を始めた。

クラシック音楽を彷彿とさせる荘厳な前奏が始まった。児童は誰も気づかない。やがて聞き慣れた主旋律が流れてきた。子どもたちの手が恐る恐る至る所から挙がった。

感動の一瞬だった。

 

■ 山間の学校でのフルートコンサート

 

同じような感動を、私は山間の小さな学校でのコンサートで味わった思い出がある。

 もう20年以上経つが、そのころ社会教育に携わっていた私は、文化庁の先述の事業の担当をしたことがあった。それは山間にあるごく小規模の小中学校に演奏家が訪れてコンサートを行う事業だった。

 

 私はこの事業を2年間担当し、その2年とも演奏に来られたのは、我が国を代表するフルート奏者の西田直孝先生だった。

 わずか数十名の児童生徒の聴衆を前にした西田先生のコンサートはどの学校でも圧巻で、私の胸を何度も揺さぶった。

(きっと先生はこの演奏で子どもの魂に響くようにメッセージを届けているのだ)と、私は思った。

 先生を会場校まで送迎する公用車の運転をしていた私は、その道すがら先生から音楽の興味深い話を伺った。

 イスラエル・チェンバー・アンサンブルで修業を積んだこと。オーレル・ニコレに師事したこと。日本では先生にしか吹けないフルート奏法があること。

 2年目のあるとき私は、車中で思い切って先生にこう訊ねたことがある。

「先生はどうしてこんな田舎にまで演奏に来ようと思われたのですか?」

 

「この土地の子どもたちは純真で、フルート演奏を瞳を輝かせながら聴いてくれる。その表情が好きで望んで来ました」

 バックミラー越しに先生の笑顔を見て、私は納得した。そして心の底から感謝の気持ちが湧き上がってきた。

 

このコンサートに帯同したピアニストは徳江陽子さんだった。ある学校ではアップライトピアノしか備わっていないこともあった。私はプロのピアニストに申し訳なく胃の痛くなる思いもしたが、徳江さんは一言の文句も言わなかった。

そのアップライトピアノで練習を始め鍵盤を一通り鳴らすと「音が響かないわね」と言うなり、徳江さんは椅子から立ち上がった。

すると突然、演奏衣装のドレスの裾をたくし上げた。そして鍵盤の下に潜り込んでガタガタとピアノの下前板を外してしまったのだった。

 私は、そのプロの執念というか意識の高さに強く胸を打たれた。

 

 2年目の演奏が終わり帰路の空港でお別れするとき先生は、「お世話になりました」と発売されて間もない2枚組のCDを私にくださった。『40フルート小品集 西田直孝&白尾隆』だった。

 このCDはその後ロングセラーになり、20年経った現在もフルート演奏の定番として多くの人々に聴かれているという。

 いただいたCDは、私は今も宝物にしている。

(浩)

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